随談第188回 ちょっと一服無駄話

先月来恒例の各劇場の評判・噂を始める前に、ちょっと一服して、昨今のニュース世相をネタに無駄話をしたい。そういえばこのところ、野球や相撲の話もしていなかった。

本命・対抗馬とも映画俳優みたいな美男・美女対決だったフランスの大統領選挙で、勝ったサルコジというのが誰かに似ていると思っていたが、勝利のあと、反対派のデモ騒ぎを前に立板に水のごとく一席ぶっている映像を見て、そうだ、広岡達朗だったと気がついた。広岡のことをしばらく忘れていたので、気がつくのに手間取ったのだ。ひろい額の生え際のあたり、濡れたような感触、ハンサムを自認し、冷徹な理論家であることにみずから酔うがごときところなど、そっくりである。サルコジの人物や、大統領としてのこれからを見る上で、この見立てはかなり有効であるに違いないと私は直感する。

広岡も、たしかに一代男であったし、長嶋批判など、傾聴に値する理論家であったことも疑いない。しかし自ら求めて敵を作り、冷笑を好むシニシズムの愛好者は、遂にしの冷笑の対象たる愚者に及ばないという、「彼」が最も冷笑する自家撞着に陥る実例を、これほど絵に描いたように見せた例もざらにはないだろう。サルコジはどうかな? 少なくとも、 自尊心の強い冷徹家の自惚れというのは、興味深いテーマになるだろう。

サルコジのお陰で思い出したが、少年時代を回顧して、広岡もまた、私の中でこよなくなつかしいヒーローの一人であったことは間違いない。早稲田での小森との三遊間などというものはまことに颯爽たるものだったし、あれほど早稲田のユニフォームの似合った選手も滅多にない。(早稲田の野球というのは、通念と別に、実は慶応などよりはるかに、やさおとこの名選手の系譜を作っている。こんどの斎藤王子も、いかにも早稲田流やさおとこを絵に描いたようなのは唖然とするほどだ。)

昭和も20年代までの六大学野球というものは、野球音痴だった私の従姉など、プロ野球を見に行った留守に遊びに来て、「どっちが勝った? ワセダ? ケイオー?」などと知ったかぶりをしたぐらい、存在感をもっていた。いまどき、そんな野球音痴はいないだろう。つまり、この場合の「ワセダ? ケイオー?」というのは、「どっちが勝った? 巨人? 阪神?」というのと、まったく同じ文脈で読み取るべき内容をもっているのである。

いつのまにか野球の話になってしまったが、昨秋以来の松坂騒動のことなど、書きたいと思っていて、ついまだ一度も触れないまま、時機を逸しかけている。新庄などと違って、野球の外にまではみ出してくるものがない分、書きにくい人物ともいえる。まあ、いましばらくは静観して、お手並みを見極めることにしよう。(それにしても、新庄の噂がこのところぱたっと聞こえなくなってしまったのは、ちょっと面白い。そういえば、中田の噂もあまり聞かないね。まあ、それぞれ「自分さがし」というのをやっているのかしらん。)

相撲の噂も久しくご無沙汰してしまった。八百長問題が訴訟問題になるというのが、いかにも現代という時代を映していて、あまり感心した話のように思えない。栃東が引退したのはいかにも気の毒である。彼のことは前にいろいろ話題にしたが、いまの相撲のある一面を彼が最も体現していると見たからで、現代での好力士であったことは間違いない。

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