随談第216回 わが時代劇映画50選(13)『次男坊鴉』1956、大映 弘津三男監督 附・観劇偶談(その104) 明治座松井誠公演『江戸情話・さくら吹雪』

前回の予約通り、雷蔵の『次男坊鴉』のことを書くのだが、偶然、いま明治座で松井誠が『さくら吹雪』をやっている。典型的な往年の時代劇を見るのもなつかしいし、敵役連の弱体に目をつぶることにすれば、松井誠の柄にも合っていて、悪くない。身体に軽味のあるところが長所である。

ところでその『さくら吹雪』だが、これが実は『次男坊鴉』と異名同作という、ややこしい成立事情を背負っている。今度の松井版は、昭和12年に川口松太郎がのちの猿翁の二代目猿之助と初代水谷八重子のために舞台劇として書いた『花吹雪お静礼三』に基づいているというが、これを原作とすると、若き日の孝夫・玉三郎でやったのも同じものということになる。お静礼三というカップルの名前は、黙阿弥作の本名題『吹雪花小町於静』通称「お静礼三」から出ているのだが、こちらは、部落民というお静の出自の問題から、昭和40年に歌右衛門・梅幸で出したのを最後に大歌舞伎では途絶えてしまっている。川口松太郎版はそこをうまく避けて、お静と礼三郎の身分違いの恋というテーマをうまく偸み出して川口版の「お静礼三」をこしらえたわけだ。

雷蔵版『次男坊鴉』では、場所を江戸でなく日光街道沿いの古河に移し、それにともなってお静の父親が古河の七五郎となっているほかは、二人をめぐる主な人物の名前も、兄の死去によって家督を継ぎ、日光改修の営繕奉行に任ぜられお静との仲を裂かれるという筋も、つまりテーマもモチーフもまったく同じなのだが、ややこしいことに、なんと原作が川口松太郎ならぬ坂田隆一となっている。坂田隆一、WHO? この間の事情、ご存知の向きがあればご教示願いたい。

考証ごとに深入りしてしまったが、前回も書いた通り、名家の若様が無職無頼の徒に身をやつして二つの世界を往来するという物語、つまり「江戸の乞食王子」というのが、前期雷蔵映画を貫く主調テーマであり、その総決算が『江戸へ百七十里』であるとすれば、その初期の佳作が『次男坊鴉』だというのが、わが主張するところ。もうひとりの「江戸の乞食王子」遠山金四郎の『怪盗と判官』『次男坊判官』につづく作品である。

旗本柳澤家の次男坊でありながら、自由を求めて旅鴉となり、古河の七五郎のもとに草鞋をぬいだところが、娘のお静が、頼りない許婚の巳之吉を見限って礼三郎に惚れ込む。その恋を封印、旅に出ている間に七五郎一家は土手の甚三一家に蹂躙される。危難を救った礼三は、兄が急死のため家督を相続、日光営繕奉行として職務の間に、お静が流れの身に零落する・・・。お静が瑳峨三智子の他は、七五郎が荒木忍、叔父六郷内膳正が香川良介など地味目の脇役陣の中に、老中松平伊豆守で新派の伊井友三郎が出ていたりする。

もうひとつ欠かせないのは白根一男の歌う主題歌で、白根はこれ一曲で歌謡史に名を残した。「どこへ飛ぶのか次男坊鴉」で始まる節と間奏が一度聞けば覚えてしまう名調子。「恋が切ない次男坊鴉、どぶの世界に何故身を投げる、わけはあの娘(こ)の目に訊きな」という、瑳峨三智子がまさしくそういう目をしてみせる。弘津三男監督の叙景も悪くない。

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