随談第225回 今月の歌舞伎から:坂田藤十郎と勘三郎

このところブログを書く暇がなかなかできない。先月も書けなかった。証文の出し遅れにならない内に、二ヶ月分のお噂をまとめて伺っておこう。

今月ではなんといっても坂田藤十郎の玉手御前がぴか一である。今月の、というより、坂田藤十郎生涯の総決算というべきだろう。私にはこれが初見参だった。音に聞きながら、これが東京での初の上演なのだ。思えば藤十郎も、随分と長い遠回りをしてきたものである。武智鉄二の光と影の、その影に蔽われていた中から、ようやく光の中に歩み出てきたのだ。

何がいいといって、『摂州合邦辻』という戯曲にある玉手を目の当たりに演じ出してくれたことである。玉手が俊徳丸の姉のような若い母であり、それゆえの愛であることを得心させてくれた。元より藤十郎はすでに70有余翁だが、それでも、戯曲の通りの若い母であった。歌右衛門も梅幸も、立女形としての立派な玉手だったが、理屈で批評家が何と言いくるめようと、若い母の恋ではあれはなかった。もちろん、それはそれでいい。(私は実は、大年増の玉手御前も好きだ。歌舞伎の『合邦』として、それもまた、ありだと思う。)

しかし藤十郎の見せてくれた玉手は、新たな目を開いてくれた。立女形が屹立し、合邦夫婦が泣き沈み、若い俊徳丸と浅香姫がふるえ慄くのではなく、合邦もおとくも俊徳丸も浅香姫も入平も、それそれが自己を主張し、ときに抵抗する。玉手は主人公ではあるが、歌舞伎のコンヴェンションが作り上げたスターシステムのピラミッドの頂点には立っていない。それはほとんど、目から鱗が落ちるような新鮮さだった。これは、義太夫狂言というものの核心に関わる問題である。かつての武智鉄二のしようとしたことが、歌舞伎への革命であったことが、よくわかる。一面からいえば、嫌われたのももっともだともいえる。

先月は、三座で『俊寛』が競演だった。他の二座がどうのというのではなく、勘三郎の俊寛が私には面白かった。この俊寛も、若い。若いがしかし、その人格、人間性を以って皆を統率している。そして気丈である。父の先代勘三郎の俊寛は、センチメンタルな俊寛だった。その代わり、あんなに泣かせてくれる俊寛もなかった。瀬尾が船から降り立つ。成経と康頼が駆け寄る。と、絶妙の間で、俊寛もこれにござる、と言いつつ進み出る、もうそれだけで、不吉な予感が舞台から客席へ広がる。(筋など、みんな疾うに知っているにも関わらず。)瀬尾が赦免状を読み上げる。俊寛ひとりの名前がない。成経も康頼も、観客もみなハッとする。と、また絶妙の間で、俊寛が進み出る・・・。そう、父勘三郎の俊寛は、あの間の絶妙さひとつにかかっていた。あの二つの絶妙な間で、喜界ケ島の場全曲をわがものとしてしまったのだ。

倅勘三郎のはそれとは違う。彼は、艫綱を追いかけてすがりつくような未練がましいことを拒否した。父もそれを試みたことがあったが、失敗だった。だって、泣かせてくれることが、父勘三郎の俊寛なのだから。倅勘三郎はもっと雄雄しい。絶壁によじのぼって、邪魔臭い松の枝を自らへし折る。それほどまでにして、やがて船影が見えなくなったとき、ほっと、かすかな微笑のようなものが頬に浮かぶ。あんな顔を勘三郎がするとは思わなかった。今まで見たどの俊寛にも、見たことのない微笑だった。

このエントリーを Google ブックマーク に追加
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です