随談第236回 50年代列伝(15)兼・わが時代劇映画50選(15)

佐々木康生誕百年映画祭の続きである。3本見た内の残り2本は、いずれもひばり映画で、二本立ての併映用でこそないが、キャストなどが二線級になるのは、当時のひばり映画というものの扱いの程が端的に知れる。しかしそれもいまとなっては、ほとんど忘れていたような二、三線級俳優に対面するなつかしさもある上に、(赤木春恵が腰元の中にいたりする!)こうしたB級映画にこそ、佐々木康のような職人監督の腕の程がむしろよく見えるという興味もある。

二本とも一九五五年の作で、ひとつは『ふり袖侠艶録』。そもそもこういうタイトルのつけ方に往時の映画人の「教養」が偲ばれるというものだが、それ以上に、この映画には味なミソがあって、つまりこれは『鏡山』なのである。美空ひばりのお初、千原しのぶの尾上、浦里はるみの岩藤という、三人の女優の仁をじつにうまく使っていて、この企画を考えた知恵者の「教養」と「慧眼」には敬意を表したくなる。

実を言うと、中学三年でこの映画をリアルタイムで見た頃、私はまだ『鏡山旧錦絵』なる歌舞伎狂言を見たことがなかった。しかしこの三人の女優の配役の絶妙さは、後年、歌舞伎としてのこの三つの役について考えるとき、実に役に立ったことをいまここで言明して少しも恥ずかしくない。どころか、今度五十余年ぶりに改めて見て、中学生の直感というものの馬鹿にならないことを自慢したいほどだと言ってもいい。とりわけ浦里はるみの岩藤というものは、女優の演じる局役の悪として傑出している。つまり歌舞伎の『鏡山』の岩藤の役の感覚の本質を踏まえながら、女優でなければ出せない女の匂いに溢れている。浦里としても、この後、これほどの傑作は遂になかったのではあるまいか?(彼女のトークショウもあったのだが、時間の折り合いがつかず見られなかったのは無念である。)

もっとも映画自体は、三人の設定を『鏡山』から借りただけで、筋は全然別物である。武州烏山藩のお家騒動というと例の『蛇姫様』と同じだが、それとも無関係だ。しかし尾上に代わってお初が岩藤と武芸の試合をするという見せ場は、設定を変えてうまく取り込んであって、室内ではなく御殿の庭で、お初は竹刀だが岩藤は薙刀で立ち会うようになっていて、むしろこの方が御殿女中らしい。草履打ちもちゃんとある。

もう一本は『大江戸千両囃子』という正月映画で、このときの二本立て用のB面がかの『紅孔雀』の全五編中の第三篇だったのだ。『ふり袖侠艶録』もそうだがこの作でも相手役は千代之介で、八世三津五郎の舞踊の愛弟子だった千代之介が『保名』を踊る幻想場面がミソのひとつだが、それ以上のミソは、美空ひばりの役が女役者で、その師匠の役で当時隆盛だった女剣戟の大スター大江美智子が特別出演していて、劇中劇のお嬢吉三で、中抜きのほんのちょっぴりだが、厄払いのツラネを言ったり、最後の大チャンバラで大友柳太朗や千代之介と一緒に悪人どもを斬りまくることで、さすがに立ち回りはすばらしい。

私にとってミソはもうひとつあって、かつてあこがれの女優だった西条鮎子と再会できたことだ。品のいい知的な美女で、現代劇の方が多かった人だが、ここではひばりと姉妹再会する姐御の役をやっていて、なかなかチャーミングである。健在ならもう八十近いか?

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