随談第237回 今月の一押し、兼・今月の舞台から

今月の歌舞伎座で一番気に入ったのは『曽我ノ対面』である。工藤の富十郎が、はじめから高座に坐ったままで通す。かつての寿海とか、先例はいくつかあるが、あの闊達にずばずば動く卓抜さが魅力だった富十郎だけに、うたた感慨に耽らざるを得ない。がさて、そういうことがあってもなお、この『対面』は近年での『対面』である。全体としても適材揃いだが、とりわけ工藤と三津五郎の五郎の応酬、工藤に迫る五郎の、見事に腰の割れた美しさに惚れ惚れした。何よりいいのは、格に入りながら役として生動していて、ためにドラマとして立っていることである。祝祭劇、ということがあまり言われすぎると、このあたりのことが見えなくなってしまうことへの、これは良き警告でもある。

しかし富十郎や三津五郎をいまさら一押しというのもナンだから、ということにすると、ハタと思いつくのは、染五郎が初役で踊る『鏡獅子』、の胡蝶である。梅丸と錦政。とりわけ、錦政という子が上手い。まだずいぶん小さいが、体のこなしや間合いが幼にしてずば抜けている。はじめて見る名前だが、どういう子か? 梅丸も、胡蝶としては賞味期限間近という体格にもかかわらず、素直に踊ってなかなかのものだ。もちろん、これに上越す胡蝶はいくらも見ているが、今月の一押しとして、錦政とともに押すには充分だ。

ところでこの月は、歌舞伎外から番外として、胡蝶から一転、高齢の大女優の名をここに挙げることにしたい。明治座の『エドの舞踏会』で伊藤博文夫人梅子をつとめている淡島千景である。全三幕にほとんど休む間もないほど登場する元気さもさることながら、その容姿に少しの衰えや弛緩を見せないことは、平素のきびしい節制を思わせる。二幕目には芸者姿、大詰の鹿鳴館の舞踏会の場ではローブ・デコルテ姿で登場し、居並ぶ女優たちの誰よりも本物であり、だれよりも美しい。まして、その演技の的確なこと、他を圧して抜群といっていい。今月の明治座は、淡島千景を見に行くだけでも充分に価値がある。たしか大正末年ごろの生まれと覚えているから、『放浪記』の森光子ほどではないにしても、八十歳は優に越していることはまちがいないが、その齢を、ほとんど感じさせない。

その森光子の『放浪記』は三ヵ月続演中で、見たのは初日間もないかれこれひと月前だが、これにも恐れ入った。じつは昨秋、勘三郎と新橋演舞場で共演した新作ものを見たときは、忌憚のないところちょいと危惧も感じたものだったが、このひと役に賭ける思いの強さが、そうした不安を吹き飛ばした、というより、寄せ付けないといった方が適切だ。講談の『笹野権三郎』で、御前試合の場に杖にすがって現われた老齢の宮本武蔵が、いざ立会いとなった途端、すっくと腰がのびて見事な構えを見せた、というのをふと思い出した。高齢とはいえ女優に対して失礼なたとえのようだが、そうではない。その気迫において、むしろそうした、剣客の気魂にたとえるのが最もふさわしいものを思わせるからだ。

一月には歌舞伎でも雀右衛門が『女五右衛門』で比類のない歌舞伎美を見せたが、これは、そのいわば一瞬の美を見せることに賭けた舞台だった。だからそれでいいのだが、その他の部分は、見えない紗幕越しに見ているような感もないこともなかった。それに比べても、このふたりの名女優の元気さは恐れ入るより他はない。

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