随談第256回 観劇偶談(その120) 仁左衛門の熊谷

松竹座を見て来た。仁左衛門の熊谷は以前から独自の工夫を加えたすぐれたものだったが、今回は一段と新たな工夫をこらしていて、なかなか面白い。覚書風に書き並べてみる。


相模の入りから出す。軍次が出迎える。これが後の熊谷のもどりのときに効いてくる。


藤の方の入り。門口から訪なうのを、相模が気づいて二重から降りて出迎える。「あなたは藤のお局さま」という言葉がすでにここで一度出る。この「あなた」の含蓄。この後、女同士ふたりの対話で彼女らの関係・現在のそれぞれの境遇などがごく自然に語られる。かつての佐竹次郎が現在の熊谷であることを知った藤の方が討たせろと迫る。こうしたことがただの伏線以上の効果を後に発揮する。ここまでで約16分。


女ふたりは上手屋台に入る。「旦那のお帰り」の声で、相模はごく自然に「障子を押し開いて」上手屋台から出、しばし柱に左手をもたれて佇むのが心情表現として効果的である。この間の軍次の心配りもさりげないながらも印象的だ。


熊谷は「ヤイ女房」と言う。この「やさしい心遣い」が仁左衛門熊谷の性根である。


藤の方が上手屋台から切りかかる。ここで相模の「あなたは藤のお局さま」が効いてくる。つまり、この「あなた」はYOUではなくTHATであり、これは熊谷に教えているのだということがはっきりわかる。


物語の終局、熊谷が敦盛を討ったというのへ、藤の方は刀を構えキッとなり、その後、相模と共にワーッと泣き崩れる。


熊谷が一旦入った後、笛の件にかかるまで女二人で語らう感じがよい。燈明や盥桶を侍が持って出たり、藤の方が手水を使ったりする持って回ったこともしない。しかし三味線はあの印象的な旋律をちゃんと聴かせる。簡明足取り早く、もたれない。


制札の見得にかかる段取りは、まず熊谷がはっきり首を見せて置くので、相模は明確に首が小次郎であることを知る。それと悟って熊谷が制札で相模を突くように下に追いやり、次に首を見ようとする藤の方へいたわりの心を見せながら制札で下へ下ろす。


相模のクドキへかかり時、熊谷は首桶の台へ乗せた首を胸に抱きしめんばかりにじっと見つめて放さない。既に竹本は相模のクドキの詞章を語り始め、夙に首が小次郎であることを知っている相模はクドキの演技を始めるが、熊谷は首を二重の端に置くことをせず、かなりしてから手ずから相模に渡し、下手へいざって住まう。(このとき、首の台をどう始末するかがちょっと気になる、という欠点はある。)


弥陀六は壮年の武人の腹で終始し、洒脱味はあっても枯れたり飄々乎としたり、世捨人然とした感じはまったくない。これも納得させられる。


熊谷は兜を先に脱ぐ。(仁左衛門は以前からこうするが、この方が見たさまもよい。)


終局のコーダの件りを、熊谷の出家遁世一辺倒に運ばず、舞台に残る人々それぞれと熊谷の関係を濃密に意識させるように運ぶ。「命があらばと男同士」は熊谷と弥陀六がきっちりと向き合って一礼する。義経が呼び止めて首を見せると、熊谷はまだ本舞台から去らず、正座し手を突いて平伏する。


ドンジャンの音にキッとなるところは、杖を薙刀のように右に掻い込んで前傾し、はっきりと武人の心になる。これは前からそうだったが、一層明確になった。

「物語」を、現在時制ではなく、現在とは別次元の「過去」として語るなど、以前からの姿勢は変わることなく、相模と藤の方への思い遣りを明確に見せる工夫が一層深まったということであろう。

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