随談第258回 久しぶり野球談義・3千安打は本当に大ニュースなのか?

野茂が引退し、イチローが日米通算三千本安打というのを打った。日本人選手のメリケン・メジャー進出の歴史も、これでひとつの時代の区分を刻んだことになる。結局のところ、アメリカの野球に本当の意味で名前を刻んだ日本人選手といえば、掛値なしにいうならこの二人に止めをさすだろう。立て続け、といってもいいほどの間隔で、二つのニュースを聞いて強く思ったのは、このことだった。

すべては野茂に始まる。このことは、三年前にこのブログを書き始めた当初に野茂のことを書いたときに、野茂をジョン万次郎にたとえて言ったことがある。あるいは、ペリーの軍艦に小舟でこぎ寄せて乗り込もうとした吉田松陰か、とも。(野茂のあの何ともスバラシイ仏頂面からは、松蔭よりも万次郎の方がイメージとしてぴったりだが。)

日本野球とメリケン野球の関係というのは実に厄介な関係にあって、テレビのスポーツニュースでも、日本の野球のニュースはごく大雑把な試合経過しか報道しないのに、メジャーの日本人選手がヒット一本打っても大騒ぎで報道される、というパターンに象徴されている。昔から、江戸の大関より地元(くに)の三段目という言葉があって、モンゴルでも大相撲のニュースはやはり同じようなパターンだそうだから、それ自体はいずこも同じとも言えるが、しかし実は、この手のナショナリズムには、江戸の大関よりも地元出身のフンドシかつぎを応援する素朴な、自然人情的ナショナリズムから、国際派を自認する世界市民主義までが包含されている。その一方、ついこの間、江川卓氏が司会をする番組に楽天の野村監督が出演していて、金メダルってそんなに大事なものなんですか、とやっていたが、TBSで毎日曜にやっている「サンデー・モーニング」のスポーツコーナーで張本勲氏が、アメリカ野球なんてこんな程度ですよ、とくさすのが売り物になっていたり、一方にこうした憂国のナショナリズムも存在する。そのどれも、一理があるのだ。メジャーに行った多くが、地元のフンドシかつぎどころか、大関横綱三役クラスなのはいうまでもない。

しかし黒船が現実にやってきて、海外雄飛が可能であると知っ(てしまっ)た以上、誰かがそれを実行しようとするのを、誰もとがめることはできない。その最初の誰か、が野茂であったわけだ。イチローは、その意味では野茂の爪の垢を煎じて飲まなければならないが、しかしイチローは野茂とは別の意味で、日本選手がアメリカでプレイをすることの意味を考えた最初(で、もしかしたら唯一)の人間であるかもしれない。少なくともイチローは、他の日本人選手の誰とも違う目でアメリカの野球を見ているような気がする。メジャーに行った他の多くの日本人選手が、実力は大関クラスでも意識としては、花のお江戸で横綱の土俵入りをする姿を故郷の母親に見せることを夢見た無数の駒形茂兵衛たちの末裔であるとすれば、イチローは、アメリカ野球をより冷徹に、客観的に見切る目を備えている。ワールドカップのときに、イチローが、日本男児ここにあり風の発言をして、あの個人主義者のイチローが、と同僚の選手たちや王監督を驚かせたり喜ばせたりしたが、それもまた、じつは一種の誤解なのであって、日本とアメリカを複眼で見ているイチローにしてみれば、ごく当然のことを言ったまでなのである。

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