随談第588回 歳末日記抄

一昨日辺りを境に、突如歳末となったという感じである。思えば、「押し詰まる」という語感を忘れかけて久しい。以前は12月に入ると徐々に歳末の感じが、世間にも職場にも、各家庭にも色濃くなってゆき(12月14日の討入の日辺りからそれが加速的になり出すのが実感された)、文字通り、暮が押し詰まってゆくのがひしひしと思われたものだったが、当今は、昨日までは何事もなく、今日から突如、遮断壁が下りるように歳末になる、という感じだ。そこで慌てて、歳末の日記からのよしなしごとの抜き書きで、今年のこのブログを締め括ることにしよう。

(その1・ふしぎな歌) 『べっぴんさん』という朝ドラの主題歌が、3カ月経った今なお、何を言っているのか歌詞が半分ぐらいしか聞き取れない。とんでもないところで言葉を切ったり、重要と思われる言葉をボソッと呟くかと思うと妙なところで声を張り上げたり。翻って思うに、歌詞、発声、フレーズの切り方、強弱の付け方等々、おそらく作詞・作曲・歌い手、更にこれを容認し採用したディレクターその他のスタッフ・番組関係者たちの日本語に対する感覚が、われわれのような旧時代人とは、おそらくまったく別種の言語感覚の上に成り立っているのだろうと考える他はない。

主題歌もだが、ドラマ自体も、題材への興味に引かされて、まあ、見続けてはいるものの、かなりかったるい進行である。神戸のハイカラ=ブルジョア家庭に育った仲良し3人組が、戦災にあったり夫が出征・復員、貧窮生活に陥ったりしながらもお嬢さん気質は微動だにせず、女学生気分そのままに小さなベビー用品店を始め、やがて大百貨店に店舗を出すようになり、この先には一代飛躍をするのであろうという(実は誰もが知る有名メーカーがモデルであるという)物語は、このところの朝ドラお得意のストーリーで、どうやら、ヒロインたちのお嬢さん流のやり方が男社会の通念・常識に勝ってしまうという筋書は結構愉快なドラマになりそうに思うのだが、脚本・演出とも、それなりのユーモアということを考えているらしい気配はあるものの、運びに起伏・緩急がないから、いらいらすることおびただしい。独善の匂いが充満している。

わけてもイライラを増幅させるのがヒロインの亭主で、この男がでてくるだけでうんざりする。マジメで誠実なだけが取り柄、小心、小胆、器の小ささ、男としての魅力のないことでは朝ドラの歴代のヒロイン亭主としてワースト幾つかに入るであろう。この男を含む仲良し3人組の夫たちは、要するに一種の三バカ大将なわけだろうが、それならいっそ三枚目にしてお笑い系の役者にでも配役した方が、多少は救われるかも知れない。

そんなにつまらなければ見るのをやめればよさそうなものだが、いまさらやめるのもイマイマシイ。と、そうやって釣るのも、演出者の手の内かも。

(その2・夜のニンマリ)朝ドラついでに大河ドラマ『真田丸』。まあ、面白い部類であった。あの作者、あの主人公役なら、ああなるであろう、うまいものだとも思い、こうとよりならないのだなあ、とも思う。通して見て、作者の意図を最後まで貫かせることを可能にした一番の功労者は長沢ますみであろう。最初、現代調丸出しの演技でオヤと思わせたが、実はそこに作者の(逃げも含めて)狙いがあるのだと分って見れば、彼女の存在感と演技は殊勲甲であったといってよかろう。だんだん歳を取ってゆく、それと共に女っぷりも上がってゆく感じなど、なかなか端倪すべからざるものがあった。

あの女の存在があって、秀吉だ、家康だ、景勝だ、三成だ、淀君だ、その他その他の歴史上の著名人たちを捌く三谷幸喜流の料理塩梅が、それぞれ、なるほどという形を取り、位置を占め、オモシレエジャネエカと思わせるところに落ち着くことになった。つまり、作者三谷幸喜の立ち位置を、長沢まさみが言わず語らずの裡に視聴者に知らしめ、ドラマの中に定めたということになる。(イヤに褒めるようだが、ここがあのドラマの勘所なのだから仕方がない。)そこを見外せば、新聞の読者評に、あの主人公は一人だけ現代人が混じっているようでイメージにある幸村と違っていた、というさる年配読者の感想が載っていたが、在来の歴史ドラマファンからすれば、そう思うのが当然であろう。

(その3.沖縄見聞)今年からつとめることになったさる委員の仕事の一環として、視察旅行という名目で沖縄へ一泊の旅をした。旅は嫌いではないが出不精の性分で、はじめての沖縄である。那覇空港へ着陸の途中、地上に見えた最初の文字が屋根の上に「ニトリ」と大書された広告で、次いで着陸直前、自衛隊の滑走路が右手に見え、戦闘機や輸送機が何機も目に飛び込んできた。「ニトリ」の広告という「本土並み」的光景と、自衛隊機というキナ臭さの併存。あゝ沖縄だと妙なところで実感した。

沖縄の国立劇場を視察し、いわば歌舞伎に相当する組踊の舞台を見、ややお楽しみとして首里城址を見物するのが旅行の主たるところだったが、その首里城址に復元された王宮がなかなか面白かった。正面の正殿の左側に清の冊封使の席があり、清王朝の使者に向かって仮設の舞台がしつらえられ組踊が演じられる。それと向かい合って、つまり舞台の裏手から薩摩側の席がある、という図が、往時の琉球国をめぐる日中両国の関係だったわけだ。

と、そこで思い出したのが昭和31年7月、かの市川右太衛門の『旗本退屈男・謎の幽霊船』なる一作である。琉球国の御家騒動に退屈男が乗り込んで解決するという筋で、私の見た限りの退屈男シリーズで一番出来の良い作だったと思うが、善玉が薩摩派、悪玉が清朝派という設定で、高千穂ひづる演じるお守り役が幼君を守り抜く。感服した退屈男が「大和撫子はここにもいた」と感に堪えて言う右太衛門独特のやや上方訛りの名調子と、山形勲演じる悪玉方の隊長役が「我らにはさる大国の後ろ盾がござる」と退屈男に向かって言い放つ、これまた独特の、一種棒読み調子が耳に残っている。OSKの名花だった勝浦千浪が琉球の踊り子役で出ていたっけ。

(その4・ファミリーヒストリー)秋に実の兄が死に、親から引き継いできた上村家の仏壇が我が家に移されることになった。昭和改元とほぼ同時期に、亡父が分家独立と大学進学とを一挙に行ったのを機に拵えたと推察される古い仏壇である。

この際でもあるし、と思い立って、姉・妹の記憶も合わせ、聞き伝えていたことに加え、戸籍を確認するなどして上村家の系図を拵えてみた。肝心の、明治維新で幕府瓦解と共に北海道へ移住、という処で具体的な人名が辿れなくなるのが残念だが(死後80年で謄本が破棄されるらしい)、大筋のところは案外古いところまで遡れるもので、なにより面白かったのは、処々に伝わっている逸話のごときものから、いわゆるDNAのような、一族一党に通底する性癖・傾向・生きざまのようなものが、長短ともに、結構浮かび上がってくるように思われることである。同時に、ふだん忘れているような古い記憶というものが、兄弟姉妹、撚り合わせてみると、かなり正確に思い出され、辿れるものだということだった。

一方残念なのは、生涯独身を通した兄が、癌と知って家を売り払って余生を外国で送ろうと企てたはいいが、想定外に病の進行が早く、事実上、到着するなり入院、一カ月病院で過ごして死去、その国へは事実上死にに行ったような結果になったのが、本人は本望だったとしても、その結果、家具調度から蔵書その他、客観的にはろくなものではなくとも、兄弟姉妹には思い出のあるもの共、わけてもアルバムだの手紙類だの、とりわけ戦中戦後の時期を語るものが永久に失われてしまったことだ。系図はそれなりにできたものの、肝心の近過去の記憶を裏付ける資料が失われたことになる。

***

本年度は是きり。来年もよろしくご愛読ください。

随談第587回 舞台随想

今月の歌舞伎では、玉三郎の道成寺に心が留まった。並々ならぬ思いが察しられたからである。決意、と言ってもよいし、心意気と言ってもよい。『京鹿子娘五人道成寺』という外題を見た時は、『日本振袖始』ならぬ五岐大蛇みたいだと思ったりもしたが、舞台を見ている内にそんな軽口を叩く気持ちは消え失せた。これで玉三郎は『娘道成寺』を舞い納める覚悟かも知れない、そう思わせるだけの強い意志がそくそくと迫ってくるのを感じた。

体力から言っても、玉三郎が『娘道成寺』を一人で踊り抜くことは多分もうあるまい。菊之助と踊った『京鹿子娘二人道成寺』も、新しい歌舞伎座で踊った東京での三演目が見納めと思っている。今度の「娘五人」は娘を三人増やしてそれだけ体を楽にしようというだけのことではあるまい。勘九郎、七之助、梅枝に児太郎。これと見込んだ四人の後輩を率いて、道行は五人、三蓋笠は児太郎、鞨鼓は勘九郎・七之助、「ただ頼め」は梅枝に任せ、クドキその他、ここぞという処は自ら踊る。『京鹿子娘二人道成寺』のようなさまざまな含意が読み取れるような構成の妙があるわけではない。役名は五人ともが白拍子花子だから、五人一身ということなのだろうが、そのこと自体に格別の面白さがあるわけでもない。むしろ、全曲を一人で踊り抜くことの無理を悟り、受け入れた玉三郎が、四人の後輩を自ら率いることによって五体一身の心で、自身の『京鹿子娘道成寺』を踊り収めようとの意思を私は読み取ったと思った。そしてそのことに感動を覚えた。クドキへの心入れ、四人を従えて鐘の上に立ち、見得をするときの気迫には、玉三郎一代の『娘道成寺』を誇示するかのような格別な美しさがあった。

***

これを見るまで気づかなかったが、児太郎は国立と掛け持ちである。『仮名手本忠臣蔵』第3部としての八段目と九段目の小浪という大抜擢の大役と、この顔ぶれでの『五人道成寺』の一人という大抜擢である。児太郎にとっては生涯忘れられない月になるだろう。またそれによく応えている。芸の未だしをあげつらうより、一心さを以て芸の不足を上回った「初一念」をこそ、認めるべきであろう。

梅枝については、私は夙に、講師を引き受けているカルチャー教室で、株を買うなら梅枝株を今のうちに買っておくことを勧めます。それもすぐに売らないで、財産として取ってお置きになるとよい、と話してある。曾祖父三代目時蔵の俤を見ているからだが、今月の花子と『寺子屋』の戸浪を見ながら、むしろ三代目左團次を思い出した。どちらに似たところで、今の世にあの顔の長さは、それだけでも希少品だが、もちろんそれだけが理由ではない。相撲で言えば、腰の備えがいい。とり越し苦労をひとつするなら、あまりああだと、人気の上で割を食ったりしないだろうかということだけだ。

七之助がすっかり大人になった。真女方として貴重な存在となった。これからを大切に歩んでもらいたい。中車、松也と三人芝居の『吹雪峠』でも、一番戯曲に肉薄していたのは七之助だった。(『吹雪峠』といえば、中車はこれから、自分をどういう方向へ持っていこうとしているのだろう? いまのところ中車の舞台には、不可もない代わりに優も秀もない。失敗を恐れ過ぎてはいないだろうか?)

四人の後輩女方といっても、勘九郎のはあくまでも立役が加役として踊る道成寺であり、もちろんそれでよいのだが、このところの勘九郎の舞台ぶりにやや行き暮れたような翳を感じるのは私だけだろうか。第二部の『寺子屋』で松王丸をしていて、おとっつあんそっくりと声がかかってもおかしくないだけの成績を示してはいるのだが、父親そっくりが、眉毛をぴくぴくさせるなど細部の模写に陥りかねない危惧を覚える。湊川で討ち死にした父正成を慕う楠木正行ではないが、父のようになりたい、なろうと思う一心に凝り固まっていはしまいか。親を尊敬するのはもちろんいい。だが、やがて来る十九代目勘三郎は、十八代目とはまた別な、独自の勘三郎でなければならない。

***

12月の三部制が、それぞれ同一料金なのは、当然といえば当然だろうが、おかしいといえばおかしい。玉三郎が『二人椀久』と『五人娘道成寺』を踊る第三部と、獅童と松也の歌舞伎ミュージカル『あらしのよるに』が同じ料金で見られるという、この歌舞伎座風デモクラシイに幸いあれ、か?

『あらしのよるに』がいけないと言っているのではない。あれはあれで結構だと思う。4月末、幕張メッセで初音ミクと共演した獅童の獅子奮迅ぶりに一種感動を覚えたことは、その折にこの欄に書いた通りである。『あらしのよるに』もその延長線上に置いて見るとき、こうした路線における獅童の在り様というものが如何に稀有なものであるかがわかる。海老蔵、菊之助さらに勘九郎、七之助、さらにさらに染五郎・・・と指を折っても、獅童のこの働きに拮抗できる人材があろうとも思われない。

『あらしのよるに』を迎える客席の反応も好意と満足感に満ち満ちていた。成功だったのである。しかしそのことと、玉三郎の道成寺が同じ料金でよいのだろうか?という疑問とは矛盾することではない。玉三郎の第3部が1万2千円なら、第一部『あらしのよるに』は6千円でいいのではないか? むしろ、6千円で、大勢の若い人たちに見てもらうべきものではないか? 誤解のないために言うのだが、これは価値の上下をいっているのでも、儲け主義がどうのということを言っているのでもない。

***

国立劇場開場50周年の『仮名手本忠臣蔵』三部作がどうにか無事舞い納めた。菊五郎の勘平という秀作を生み出しただけでも、しただけのことはあったと言ってよい。

国立劇場について、税金でまかなってもらえるから経営努力をしない、ということを言う向きがあるが、私はその手の「きびしい」声には必ずしも同調しない。少なくとも、「いま置かれている」状況の中で相当の努力を払っていることは間違いない。50年前の開場当時は、歌舞伎座が年間、ときには年に8回か9回しか歌舞伎の興行が出来なかった中で、1年12カ月、歌舞伎公演をしていたのが、どうして、歌舞伎教室を入れても年6回になってしまったのかは、おそらく国立劇場だけの責任ではあるまい。

それにつけてもだが、近頃、カルチャーなどで受講者の方々の話を聞いていてアッと思うのは、五十年配六十年配で比較的近年に歌舞伎に関心を持つようになったような人たちが、その念頭に国立劇場の存在がほとんど入っていないということである。歌舞伎座が改築されたことで歌舞伎に関心を持つようになったという人も少なくないのだろう。11月の「忠臣蔵シリーズ第二部など、菊五郎の勘平に吉右衛門の由良之助が揃って顔をそろえて、料金も歌舞伎座の3分の2ですむという「お徳用」であったにも拘らず、薦めてもピンとこないような顔で聞いている。旧歌舞伎座がいよいよ取り壊しというニュースが流れた時、まだ元気だった勘三郎がタクシーに乗ったら、「あんたたちも歌舞伎座がなくなったら仕事がなくて大変だね」と運転手から同情されたという笑い話は、実は決して笑い話ではない。