随談第583回 芝翫型の『熊谷陣屋』

橋之助から襲名した八代目芝翫が、襲名披露に芝翫型の『熊谷陣屋』を披露して上出来である。新芝翫にとっての成果、芝翫型上演の意義、舞台成績等々、様々な意味で極めて刺激的だ。舞台の出来もいいが、芝翫型そのものが実に面白い。見ながらいろいろなことを思わされた。これほど刺激的な舞台は滅多にない。

まず確実に言えるのは、芝翫型は團十郎型に乗り越えられてしまったマイナーな型では断じてない、ということである。むしろ、今度の芝翫型上演によって、團十郎型というものが、是非長短共に、くっきりと見えてきた。何よりもそのことが刺激的である。いうなら、團十郎型は熊谷ひとりの心境劇であり、熊谷の出家に至る心情に焦点を絞り込んだ近代劇であることが、改めてわかった。そこに、近代歌舞伎としての価値も意義もあるのだ、ということである。芝翫型は、それに対する、いうなれば「本行」であり、歴とした浄瑠璃に基づく丸本時代物狂言である。

芝翫型だと、小次郎の首を受け取るとき、相模は自分から階段を上がって夫熊谷手ずから受け取る。(團十郎型として首の渡し方については仁左衛門が独自の工夫を見せたり、ということはあるが。)相模だけでなく、藤の方も弥陀六も、熊谷との関係がくっきりと見える。熊谷は相模を置き去りにして飄然と去るのではなく、義経を頂点にして、上手の藤の方・弥陀六主従と下手の熊谷夫婦がシンメトリーを作って絵面になって幕を切るのが、単に團十郎型との型の違い、などという表面上のことに留まらない意味を持っていることが明確に分かる。(團十郎型の熊谷が相模を置き去りにしてしまうことを指摘する声は以前からあるが、それは小声で囁かれるだけだった。)

弥陀六も、ありがちのような、世捨て人然とした老人ではなく、「心の還俗」を常に意識している現役感覚旺盛な人物であることを、歌六が実に面白く見せたし、魁春の相模も菊之助の藤の方も、実に生き生きと見えた。(これが、もし芝翫型で演じることによってもたらされた効果であったとすれば、事はますます面白くなる。)

吉右衛門が義経を付き合ったが、そのセリフの見事なこと。ひとり吉右衛門名演リストの筆頭に書き留められるだけでなく、大仰のようだが、現代歌舞伎における絶唱と呼びたくなる。

後回しになったが、新芝翫も非常に結構だった。あれだけの役者ぶりというものは、当代稀なものだと予て思っているが、芝翫型のあの大時代な扮装がよく似合う。花道の出で、七三で大きくぐいっと桜を見やるところなど、冒頭からいきなり、團十郎型の内向芝居とは一線を画すことを宣言するかのような豪宕さがいい。襲名の二カ月に熊谷と盛綱と、陣屋物を二つ出すのは異例だが、時代物役者としての志の表われ、大いに我が意を得たが、まずは第一打席の熊谷で右中間を大きく破る二塁打というところか。

二塁打? あんなに褒めたくせに本塁打ではないのか? そう、それには訳がある。十三年前、はじめて芝翫型の熊谷をつとめるに際し、松緑から二代目が昭和三十年に演じた際の書き抜きを借りたと語っているように、調べる手は尽しているであろうことは充分察しが付くが、それでもなお、團十郎型の残滓が随所に残っていて、それが、敢えて厳しく言えば、「有意義な未成品」の域に留まらせていると見るからである。

その最大なるものは、せっかく有髪の僧の姿になりながら、雲水姿になるところに象徴的にあらわれる。十三年前に新橋演舞場で初演の折は白装束であったはずだが、何故、團十郎型のシンボルのような雲水姿に戻したのだろう? そもそも赤面の有髪で雲水姿では見た様がよくない、というのは決して表面的な外観だけのことを言うのではない。写実な雲水姿というリアリズムは、團十郎型の写実志向が生み出したもので、赤面に黒ビロードの着付け、赤地錦の裃袴という芝翫型の様式とは水と油であり、劇としての様式に混乱を生じている。橋之助時代に、芝翫型で幕外の引っ込みをしたことがあるそうだが、(気持ちはわからないではないが)、雲水姿で幕外の引っ込みを演じたいなら、そのときは團十郎型で演じるべきで、それを芝翫型の中でするのは様式の混乱であり、ひいては性根や型の意味にも混乱・矛盾を引き起こすことになる。

煩雑になるから一々は挙げないが、こうした改善点が幾つかあったようだ。思うに、型として表われた点は二代目松緑の書抜きなどでカバーできるだろうが、メモとして書き残されていない部分をどう造形し表現するか、一朝一夕ではなし得ないところだろう。今後、機会あるごとに、いや、機会を積極的に作ってでも、芝翫型のより良き完成を目指して、研鑽を重ねてもらいたい。芝翫型にはそれだけの価値がある。単に、家の型だからというだけに留まるものではないからだ。敢えて、本塁打と言わず、二塁打と言った所以である。