随談第576回 今月の舞台から

今年の團菊祭は目玉が二つの、鵺ならぬ双頭の鷹のごとき様相だが、この鷹は、片方は雛鳥、片方はすでに雛を子に持つ親鳥たちである。菊吉両首脳が目に入れても痛くない二歳半の坊やの観客吸引力は、気が付くと真後ろの席に小泉純一郎氏の姿があったり、孫に引かれて團菊祭29年ぶり出演の播磨屋の五右衛門に菊五郎の久吉という大ご馳走の『楼門』が出たりしたのだから、当節の歌舞伎の「陽」の面をシンボライズしたようなものだが、双頭のもう一方の親鳥たちの方はと言えば、陰陽こもごも木漏れ日のごときまだら模様を呈している。

そもそも今回の團菊祭は、寺嶋和史クン初御目見得という慶事を表にしながら、じつは菊之助・海老蔵・松緑三人体制を明確に打ち出したところが眼目であって、昼夜7演目中4演目、それも中心部分に彼等の演目が置いてある。これが軌道に乗れば、菊五郎劇団も11代目團十郎・梅幸・二代目松緑以来の三代がめでたく揃い踏み、團十郎亡き後、菊五郎が背負ってきた重荷も次代へ受け渡す体制が整うことになるわけだ。いや、歳月人を待たず、そうのんびりもしていられない。

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三人顔合わせによる当月の眼目といえば、海老・菊の松王夫婦、松緑に梅枝の源蔵夫婦という『寺子屋』で、幕が切れロビーに溢れ出た途端、とかくを云々する声も耳にしたが私はむしろ、ほっとした、というのが第一の感想であった。まずは神妙につとめているのと、4人の均衡が取れてそれがおのずから、この狂言の骨組みを明確にしていることを良しとする。但し、各人それぞれが役の心理やら情やらを心を籠めて演じ出そうとするために芝居が伸びて劇全体の結構が歪みがちになるのがよろしくないが、もっともこれは、この『寺子屋』という芝居自体が,近代主義的に演じ尽され末端肥大的に心理芝居と化して久しいためで、今回の4人だけの話でもなく、責任とも言い難い。次の機会には、親世代よりもっと前世代の名だたる演者たちの映像なり、音盤なりを、皆で研究してみることだ。

それにしても、アラサーからアラフォー世代の、役の人物たちとほぼ同年輩の彼らが発散するオーラというものには、なかなかのものがあるのは確かだ。海老蔵が首実検で刀を抜いて源蔵夫婦に突きつける團十郎型を見せるのがよく似合う。菊之助の千代がときどきはっとするほど梅幸に似ている。松緑も手堅いマッチョぶりに祖父や父のますらおぶりを彷彿させる。梅枝の戸浪は曾祖父三代目時蔵の若き日はかくもあらむかと思わせるオーソドクシイを感じさせる。というわけで、まずはこれが現時点での彼等の平均値と見る。

もうひとつの三人勢揃いの『三人吉三』大川端となると、疑問がぞろぞろ出てくる。3人とも祖父以来の仁を伝来しているからその点では結構なのだが、まず海老蔵のお坊がすべてのセリフをツラネであるかのように謳うと、菊之助のお嬢もそれに応じるから、二人のやりとりが掛け合いのアリアの如くになる。如何にこの場は様式美を愉しむ場だとはいえ、あれでは、あるいは謳いあるいは世話のセリフになって虚々実々の応酬をする緩急の妙というものが生まれてこない。

お坊とお嬢はあそこで初めて出会って、互いの手の内や人物としての器量の程度を探り合っているのではないのか? その上で、ヤアこいつはなかなかの奴だと互いに認め合うに至るのだ。そこのところを、七五調のセリフの様式を踏まえながらも「芝居」として見せてくれなければ、黙阿弥劇の醍醐味は生まれてこない。謳い上げるだけが様式美ではない。

中では松緑の和尚が、世話の芝居の緩急を一応なりと押さえている。和尚のセリフがそのように出来ているから、ということもあるし、おそらく祖父先々代のテープでも聴いたか、ということもあるが、ともあれ、まずは和尚らしいセリフになっている。口跡の固さはあるにせよ、だ。

菊之助のお嬢が、おとせを川に突き落とし木っ端どもを抜き身で追い払って、棒杭へ片足をかけ、ひと呼吸、いやふた呼吸ぐらい間を取って(声がかかるのを待つかのように)、「月もおぼろに白魚の」と厄落しのアリアにかかる。このことについては前にも(このブログにも、以前に出した『21世紀の歌舞伎俳優たち』という著書にも)書いたことがあり、このやり方にもそれなりの理由はあるとは認めるが、祖父梅幸が晩年に久々にお嬢を演じた時、アッと思ったことがある。つまり、抜き身で追い払い棒杭に片足を掛けるとすぐ、そのままひと流れの呼吸で「月もおぼろに」と始めたのだ。そのことを書いた私の文章を読んだのかどうか知らないが、それから程なく、まだ勘九郎だった当時の勘三郎が、梅幸のおじさんに教わったやり方だと言って、つと立ち上がって、目の前で、このくだりの一連の仕草を一筆書きのようにやって見せてくれたことがある。やり終わって、ネ、という風に頷くと、今、もう誰もやらないんだと言った。私にとっては貴重な体験だったが、なるほど、と深く感じるところがあったのは確かである。(この時点での勘三郎は、やがて梅幸譲りのお嬢吉三を演じる秋(とき)を待つつもりであったと思われるが、その後コクーン歌舞伎で和尚吉三を演じたが、ついにお嬢吉三を演じて見せてくれることなく終わってしまったのは、返す返すも残念なことと言わねばならない。)

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菊之助が『十六夜清心』で清心をつとめてこれはなかなかのものである。何といっても、和事のかかった二枚目という仁と芸質が絶対のものを言う。それとセリフの平仄が整っているので、松也の求女との割り台詞など、黙阿弥の韻律が心地よく耳に響いて狂言の皮膜の間へ引き入れられる。現今の菊之助としてやや優等生に過ぎるきらいはありはするものの、一脈それが、心中を図って死に切れず、しかし待てよ、と悪心が兆すまでの清心の在り様に通じるところが一徳である。凄みがないとの評もあるようだが、それは後に鬼薊の清吉になるまで取っておいていいのだと思う。

松也の求女も、菊之助と並んで立つと背の高さが目につくが、それを別にすれば、よく体を殺して若衆になっているのは偉い。白蓮に左團次、十六夜に時蔵が控えている安定感も、ここでは大いに物を言っている。というわけで、この一幕は、この世代の歌舞伎として一級品と言っていい。

松緑が『時今也桔梗旗揚』と真正面から取り組んで訥々、詰屈、外連味のまったくない舞台ぶりで、これを見たら斜に構えた戯評などできるものではない。この人は、家康ではないが重い荷を背負って長い道を歩き続ける人になるのかもしれない。團蔵が春永でこのところの好調をキープ。役者は六十からか?

松緑の光秀が三宝を踏み破って謀反の意を顕わして高笑いするまで蓄積された疲労を、海老蔵・菊之助の『男女道成寺』が按摩する。二人のもっている役者として花がここで物を言う。

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團菊祭に梅玉と魁春が出るのは、祝い事の『勢獅子』にお付き合いのためだろうが、せっかくのことだからというように『鵺退治』という珍物が二人のために開幕劇として用意された。54年前に勘弥がした時の上演時間は19分だったのを、今度は清涼殿屋根上の立回りを増補して30分に仕上げたという。したが顔は猿、胴体は狸、手足は虎、尾は蛇という怪物の着ぐるみが登場しても、やれクマモンだつば九郎だ、可愛らしい着ぐるみ隆盛の当節、あまりこわくないからせっかくの源三位頼政の武勇も却って引き立たない。「鵺」という字は「夜」扁に「鳥」と書くように、夜な夜な屋上で奇怪な鳴き声を立てる怪鳥であるところに肝があり、だからこそ頼政も矢で射殺すのだ。とすると、折角の今井豊茂苦心の補綴ながら、立回りはすっかり裏に廻してしまった54年前の勘弥所演の方が賢かったということになりはしまいか?

(それにつけても、当時の勘弥は、『鵺退治』の翌年には『凧の為朝』を出し、その秋には『治承の旗揚』を出すなど、珍品堂主人よろしく蘊蓄を傾けてくれたのが懐かしい。

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今年は前進座創立85周年というので、国立劇場公演に『東海道四谷怪談』を気張って出したのが、「前進座のいま」を語り尽すかのようななかなかの出来だ。「地獄宿」は端折って「宅悦内」になったが「三角屋敷」をきちんと(と言ってよいだけにまとめて)出し、「又之丞住処」は食ったが小仏小平の立場は明確にするとか、奥田庄三郎のスパイ活動は端折っても与茂七と衣類を交換する件は見せるなど、今日可能な上演時間の中で物語を成立させる端々をきちんと見せるなど、前進座らしい几帳面なテキストである。折から6月にはコクーン歌舞伎版の『四谷怪談』が出るが、いまや今度の前進座版が、今日最もオーソドクシイを保ったバージョンとも見える。教科書になり得るだろう。

演じる側も、先代国太郎のお岩のような突出した存在がない代わり、主要などの役もバランスよく納まるべきところに納まりつつ、それぞれ存在を明らかにしている。つまり、脚本の在り様にぴったり見合った、それもまた「前進座のいま」を具現している。そこが物足りないという向きもあるだろうが、求めるところが違うのだから、それはないものねだりというものだである。

お岩の國太郎、芳三郎の伊右衛門、矢之輔の直助と芸の背丈が揃う中で、与茂七に菊之丞を招いたのが今回の配役の最大のヒットである。詳しい事情は敢えて知らずに、舞台の上だけのことに限って言うのだが、座への復帰を切に望みたい。仁のよさでは芳三郎の伊右衛門がそれにつぐが、この伊右衛門なら、またこの脚本でなら、「隠亡堀」で「首が飛んでも動いて見せるわ」というセリフはなくもがなだ。(あのセリフをやたらに強調し、重要視するのは、今から見れば60年代70年代というひとつの時代の「風景」であって、それから早や半世紀を隔てた今日、伊右衛門像として却って古めかしい。)

随談第575回 訃報あれこれ

加賀屋歌江が死んだ。小山三という別格的な存在は別とすれば、ひと足先に逝った吉之亟とともに、「昭和歌舞伎」を知る最後の女形だった。歌右衛門が八ッ橋をするのがテレビ中継されれば、画面のフレームの中、歌右衛門の斜め後ろ辺りに歌江の顔がある。遠近感が失われる画像の中では、身を殺していても大柄な姿はすぐに目についた。実を言うと少し目立ちすぎたのかもしれない。

それは、歌江にとっては決して喜ばしいことではなかった筈である。芯の役の役者の邪魔になってはいけない並び腰元や並び傾城の役を務める女形として、目立ちすぎることは慎まなければならない、という建前のもと、しかし実を言うと、これという女形は、みなそれぞれの個性をもって自分の贔屓を持っている。傾城や腰元たちの中に心に留まった顔を見つけて、あれは誰だ? というのが、観客の側の楽しみでもある。

歌右衛門の踊りに後見として影身の如く付きしたがって、引き抜きを行う名手としても知られたが、歌江の前に同じ役をつとめていた加賀屋鶴助がひと際の小柄だったのと、ここでも対照的だった。踊りの後見を表芸とすれば、形態模写という隠し芸があって、永い時期、俳優祭の名物になっていたことは、私がここに書くまでもないだろう。

昭和の末期から平成の初年にかけて、例年八月に国立劇場で続けていた葉月会で、珍しい狂言をいろいろ見せてくれたことが最も評価されるべきことだろうが(特に幸右衛門と組んで見せた『敷島物語』をはじめとする諸作は正に隠れた名作だった)、ああした形で一歌舞伎俳優として気を吐いたことと、歌右衛門の影法師として女形人生を全うしたことと、歌江自身、どちらを本望としていたかは、本人以外には窺い知れないことである。

上野の酒屋の倅で、昭和30年前後に新東宝の二枚目スターとして宇津井健の次ぐらいの位置にいた中山昭二が兄だという、かつては歌江のことを人に教えるときによくした説明は、今となっては、ヘエ―と言ってわかる人も稀になった。

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ダーク・ダックスのバリトン喜早哲氏が亡くなって、それなりの話題にはなったが、新聞の扱いは必ずしも大きくなかった。中には顔写真も何もないベタ記事の扱いのところもあったらしい。新聞を読まない若者世代が増えたというので東大総長が入学式の訓示に新聞を読みましょうと言う時代、紙面構成の中での扱い様でニュースの重大性が相対的に知れるのが新聞ならでは、インターネットではそうはいかない、と新聞人がアピールに努める昨今、喜早哲氏の死亡記事のこの扱いはその言を自ら裏切るものと言わねばなるまい。

確かに、イマドキノワカイモンはダークダックスなどといってもピンと来ないかも知れないが、しかし相前後して訃報が伝えられた秋山ちえ子、戸川昌子といった名前とともに、昭和30年代という時代の匂いを伝えるという意味で欠くことのできない名前である。もっとも戸川昌子が第一回の江戸川乱歩賞を取って作家デビューしたのは既に高度成長期に入ってからだから、実は少し遅れる。ラジオでデビューして最盛期をテレビで迎えたという意味で、ダークダックスも秋山ちえ子も、他の同業の人々とは一線を画す、戦後世相史年表を作るとしたら、独特の時代の匂いを持っているが故に逸することのできない名前なのだ。

ダークダックスよりデュ-クエイセスの方が上手いだの何だのということを言い出せば、いろいろな評価があり得るだろう。しかし4人コーラスというあの形で戦後社会に登場したのはダークダックスが先駆者であり、そのこと自体が、戦後世相を語るひとつの「事件」であったのだ、という意味で、他の、ダークダックス以上に音楽的に優れ、より以上にヒットナンバーを持ち、人気の上で上位に立ったどのコーラスグループにもまさって、喜早哲氏の死は、新聞紙面に然るべき扱いをされるべきなのだ。(つい先日、日本映画チャンネルで江利チエミの東宝映画『サザエさん』を放映したので70年ぶりの再会をしたが、初めと終わりに、ダークダックスが近所の酒屋の御用聞きの役で出てきたのを見て、アア、そうだったっけ、と古い古い記憶が甦った。つまり、あの映画は江利チエミだけでなくダークダックスが出演したことによってミュージカル映画となったのである。(もちろん、当節のミュージカルとは全然違うが、当時の製作意図としては、あれでもミュージカルなのだ。)

秋山ちえ子氏については、訃を伝えるどこの局でも流していた、戦時中殺された上野動物園の象の物語の語り部としてよりも、そのいわばデビューとなったラジオでの、声によるニュース解説のような番組が、子供心にも新鮮な感じが印象的だったのを覚えている。ダークダックスにしても秋山氏にしても、格別ファンであったわけでも愛読者・愛聴者であったわけでもないが、ラジオからテレビに移り変わって行った時代の感覚を鮮やかに思い出させてくれるという意味で、欠かせない名前であり懐かしい名前なのだ。

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ここまで書き継いできたところで、蜷川幸雄氏の訃報が入った。もっとも私は、決して氏のよき観客ではなかったし、あちらとこちらの活動を線で表すなら二つの線分が交わることはほとんどかった。

唯一接近したのは、既に10年も前になるか、菊之助が働きかけてシェイクスピアの『十二夜』を蜷川演出による歌舞伎仕立てで、まだ建て替え前の元の歌舞伎座で上演、大評判になったとき、旧体制時代の『演劇界』に私が書いた劇評を、氏が気に入っているらしいと教えてくれた人があった。と言ってもそれだけのことで、あちらからもこちらからも別に何をしたわけでもなく、交差しかけた2本の線は、またそれなりにてんでんに放物線を描きながら相遠ざかるようになった。

氏がまだ役者だったごく若いころ、大佛次郎の『三姉妹』という、国立劇場で新歌舞伎にもなった維新物の大河ドラマで、ほんのチョイ役だが(たしか二回ほど出てすぐ殺されてしまったと思う)、開港場になった横浜で虚無的な通弁の役をしていたのが、妙に気になってそれ一作でその存在ははっきりと認識することになる。やがてその後、灰皿を投げつける演出家、などと面白がられながら評判を高めていくのを、時にはその演出した舞台を見たりしながら、遠くから眺めていた。というのがそれからほぼ半世紀間の、わが蜷川像ということになる。

というわけで、私などが口を挟むようなことは何もない。一言で言うなら、主演俳優や、ときにはタイトルよりも、演出家の名前が大きく語られ、大きな文字で宣伝されるような時代状況を切り拓いき、現出させた人、ということだろう。料理はシェフ次第、芝居は演出家次第、ということを、時代の常識にした人、と言い換えてもいい。

随談第574回 ニコニコ超会議2016で獅童を見る

台風並みの烈風吹きすさぶ旧天皇誕生日の4月29日午後、乗り継ぐ電車3路線の内、2路線が大幅遅延という悪条件もものかわ、乗りかかった舟と肚を決めて、幕張メッセに辿り着いた。二時間半の余もかかってようやくプレス受付に着いたのは14時開演に遅れること既に5分余、教えられた会場へ行く途中で、ふと魔がさして他の催し物の会場へ紛れ込み、その、何というか、妖しうこと物狂おしき中をさまよいさすらい、ようやく心づいて脱出、カタログ番号E-112、超歌舞伎『今昔饗宴千本桜』の行われているイヴェントホールまで漕ぎつけたのは、察するところ狂言も佳境に入ったと思しき頃合いであった。

今回のニコニコ超会議2016のメインイベントである超歌舞伎の主役を獅童がつとめるについて、案内があったので出席の返事をしたのは、ニコニコ超会議なるものが如何なるものか、実際を見ないことには見当もつきかねる。「社会勉強」にもなることだし、その中で演じられる「超歌舞伎」なるものが如何なるものか、この機会にひとつ見ておこうかと、むらむらと興味が湧いてきたのである。酔狂・物好きと言わば言え、同日同時刻、紀尾井ホールでは竹本駒之助が『媼山姥』の「廓噺の段」を語るのを、ニコニコ超会議の獅童に乗り換えたのだから、愚挙と断ずる人がいたって不思議はない。

超歌舞伎『今昔饗宴千本桜』はかの松岡亮の脚本にして大正百年という超未来が現実、初音美玖(登場人物の役名である)の脳内で大過去に遡ったところが『義経千本桜』の時代という設定、獅童は『千本桜・鳥居前』の仁王襷を付けた忠信の扮装で、初音ミク扮する(と言っていいのか)美玖姫のために奮戦する。「鳥居前」あり「花矢倉」あり、その他観衆の歌舞伎イメージを満足させるような立回りの手を惜し気もなく見せて、青龍の精なる悪を倒すために獅童が大奮闘する。カラミ、鳴物その他、歌舞伎側は藤間勘十郎演出・振付によるすべて本物が出演しての初音ミク側とのコラボレーションである。この日が超歌舞伎公演の一日目で三公演、翌日が二公演、各ほぼ一時間という上演時間を獅童が初音ミク嬢と共演する。大変な運動量(!)と言わねばなるまい。

大団円には、特性舞台を駆け回っては、サアサアサアというように場内を煽っていやが上にも盛り立てようとするサービスも堂に入っている。5千人と聞いたが大観衆の場内から「萬屋!」と、結構悪くないタイミングで掛け声も掛かる。この場にいる観衆にとって、獅童は歌舞伎の世界からやってきた使者であり、(「月よりの使者」という映画が昔あったっけ!)何よりもまず、獅童はそのイメージによく似合っている。おそらく現在の歌舞伎界の誰よりも、獅童はこの役割にふさわしいに違いない。そもそも、この空間、醸し出されるこの空気、知名度、どれをとっても、獅童以上に程よくマッチングできる歌舞伎俳優がいようとは思われない。私としても、こういう獅童の姿を見ていれば、少なくとも好感を抱かざるを得なくなる。見終わって、滔々たる大河の流れのような人の波に流されながら、「凄い迫力だなあ、びっくりした」といった声を幾つか耳にした。これを最大公約数の感想と考えてよいとするなら、獅童は、歌舞伎伝道師という自分に課せられた責務を十分に果たしたことになる。

それにしても、と少々の負け惜しみを交えながら蛇足を加えると、前半を見はぐっても、会場へ向かう途中で他の超会議の催し会場に紛れ込んであの異空間の洗礼を受けておいたのは、結果としてよかったと思う。ロックの大音響が鳴り響く中、イマドキの若い人々の興味を引きそうなありとあらゆるものがごった煮状態で、差別なく並列されて行われている。「自民党」だの「民進党」だのという、いかにも場違いそうなコーナーまであって、たまたま通りかかったときには、自民党の代議士と思われる人物が黒スーツ姿の街頭演説と寸分たがわぬスタイルでアベノミクスが何とやらという演説をしていた。まるで地獄極楽巡りをしているみたいなもので、これで頭がおかしくならなかったらどうかしている、ようなものだが、こういう洗礼を受けた後に見た「わが獅童」は、間違いなくちょいとしたものであった。