随談第571回 春場所騒動

大相撲の春場所は、想定外の事態がめまぐるしく変転した挙句、白鵬優勝をめぐる椿事となって終わった。千秋楽の是より三役の三番が三番とも、意味内容はそれぞれ違いつつそれぞれの意味で期待外れの一番だったわけで、この三番が今場所のすべてを象徴していたようにも見える。

琴奨菊は元の木阿弥となり、稀勢の里はやっぱりいつもの稀勢の里で終わり、豪栄道は所詮、今日の夢は大阪の夢、浪速のことは夢のまた夢でしかなく、そうした中で鬼と化した白鵬が三人の木阿弥に掛かっていた夢をすべて、浚って行ってしまった。問題の日馬富士戦への不満の根源は、その夢と消えた夢への欲求不満が沸騰した結果の表れと、私には見える。

琴奨菊の横綱昇進への夢というのは、元々、冷静に見れば期待と危惧が半々、むしろ四分六ぐらいに見積もるのが穏当なところであったにもかかわらず、マスコミに煽られるように、横綱昇進なるか、いやなるに違いない、という一点に絞り込んで今場所が始まった。初日までもうは幾日もないという頃になって、地元で優勝パレードなどやっているのをニュースで見て、アリャリャと思った。こういう贔屓の引き倒し方というのは昔からあることで、善意からしてくれることだから無下にも断れない。初日の放送で北の富士氏が、昇進の可能性にについて厳しい見方を示したら、新聞の投書欄に、あの解説者はまるで琴奨菊を嫌っているみたいでアナウンサーも戸惑っていた、公平性を欠く解説であるといった趣旨の投書が載っていたが、何事によらず、ムードに流される世の動向というものを絵に描いたように示す、面白いと言えば面白い投書だった。鉄アレイを持ち上げたりハンマーを振り回したりするトレーニングはしていたろうが、土俵の土を踏んでいなければ、果たして脇は甘い、出足は不足という、元の琴奨菊に戻って、終盤戦は連日、土俵の砂にまみれて終わった。せっかくの琴バウアーのルーティーンが五郎丸の拝みポーズに追いつくぐらいに知られかけたのに、惜しいことだ。本当に元の木阿弥になってしまうかどうかは、来場所以降の問題だが、ともあれ、これが今場所のポシャリの第一。

稀勢の里は、どなたかも指摘していたように、目を臆病な小動物のようにキョトキョト動かす癖が影を潜めたのは結構なことであった。あれはおそらく、精神力の充実の反映であろう。13勝2敗という戦績は、来場所への橋頭保を築いたといってよいかなりの戦果であったわけだが、中日以降、それまでは稀勢の里のことなど話題にもしなかったような向きまでが、琴奨菊がダメならこっち、と期待が俄かに倍増してかかってきたのはやむを得ないところでもあり、むしろそれをも力にして、この機に乗じて優勝を浚ってしまう、という離れ業ができないところが稀勢の里流なのだともいえる。

逆に、これは浚えるぞと見極めをつけたかのように、5日目、6日目頃から以降の白鵬の形相の凄まじさは、今場所は白鵬だなと思わせた。勝ち残りで控えに戻ってからも、次の一番が終わってもなお、物凄い形相は消えなかった。(アナウンサーたちは、そういうところに気付いているのかいないのか、気づいていても予定にないことだから知らぬふりをして触れないようにしているのか、相も変わらず、自分たちの立てた放送スケジュールに従って型にはまったことしか放送しようとしない。)十四日目だったか、対鶴竜戦のとき、時ならぬ鶴竜コールが沸き起こった。「白鵬負けろ」とはまさか言えないから、鶴竜コールとなったのだろう。

日馬富士戦の立ち合いの変化について、あれで決まるとは思っていなかったというのは、本当だろう。(当然ながら)追撃の体勢を取っているのが何よりの証拠で、相手が土俵際で踏みとどまり,体勢を立て直すところへ次の攻撃をしようとしたのに違いない。日馬富士の方も、あそこまで猪突猛進しなくとも、とは思うものの、そのぐらいにしなければ一気に押し込むことはできないだろう。要するに、立ち合いの張り差しだの、八双飛びだの、昔からある技とはいえ、これほど常態化している時代はないだろうが、普段がそうだから、急にこういうときだけ、やるなと言っても無理な話なのだ。別に擁護をしているわけではないが、急に、横綱たるものは、などと勿体をつけるのも空々しい。ただ北の富士氏が言っていたように、曽ての横綱たちと当世とでは、考え方・観念がおのずから違ってきているのは確かだろう。

「荒れる春場所」ということを、場所中、アナウンサー諸氏がしきりに口にしていたが、今場所は、関脇小結が皆、大敗したことでも知れるように、番狂わせが少なかった場所に属する。別な意味での「荒れる春場所」であったわけだが、この言葉は、元来、3月に大阪での本場所が定着して以来、上位陣が総崩れになって、よく言えば予測がつかない展開になる面白さ、悪く言えばハチャメチャ状態になりかねないことがよくあったので、昭和30年前後から言われ出したのだった。関脇以下の優勝や、12勝で優勝などということも他の場所より多いのがその表れだが、昭和30年代前半、雄大な体躯と風貌、眉毛と胸毛の濃さで、神代の昔の力士を思わせた先々代朝潮が(事実、東宝映画『日本誕生』に手力男の命(タヂカラオノミコト)の役で特別出演、原節子演じる天照大神を天の岩戸から引きずり出す場面を演じた)、本来の力を発揮したら栃若以上の筈と期待されながら取りこぼしが多く、他の場所では期待を裏切り続けながら、大阪場所になると優勝するので朝潮太郎ならぬ「大阪太郎」と呼ばれた時代があった。「荒れる春場所」のシンボルでもあったわけだ。