随談第556回 今月の舞台と話題

歌舞伎座の秀山祭は眼目の『競伊勢物語』が諸条件勘案してギリギリの時点での上演実現であり、何はともあれよくやってくれたというのが率直なところ。

何と言っても素晴らしいのは、吉右衛門のセリフの音遣いの見事さで公家でありながら侍、殿上人でありながら百姓太郎助であったという過去をもつ紀有常という人物を余すところなく表している点で、もうこの声、このセリフを聞くことが出来れば、後は、長袴をはいたまま胡坐をかいたり正座して仏壇に手を合わせたりするところや、信夫と豆四郎の首をはねる段取りが少しもたつくのをどう処置するか、といった至極実際的な部分の問題になる。少なくとも、『競伊勢物語』の復活として今日あり得る限りのものであったと言って間違いない。(仁左衛門の有常に秀太郎の小由で、という提案を三、四の人から目に、耳にしたが、なるほどそれもよろしかろう。松竹座あたりで実現できれば、『盛綱陣屋』の場合の如く、東西にそれぞれの秀作が並び立つことになるであろう。)

それにしても、『岡崎』の幸兵衛女房もそうであったが、今度も小由に東蔵というものがいなければあり得なかったわけで、ここに来て東蔵の存在はまさしく値千金ということになる。(歌六に小由を、という考えもあり得るが、三婆の覚寿や微妙、越路などと違い、小由は基本的には世話の婆であり、東蔵の方が正解といえる。)思い出せば、昭和40年6月の前回の上演の時、寿海の有常、二代目鴈治郎の小由、歌右衛門の信夫、勘弥の豆四郎、延若の鐃八という中で、序幕の茶店に出る絹売りの娘3人をしていたのが加賀屋橋之助、沢村精四郎、中村玉太郎、即ち現在のそれぞれ魁春、沢村藤十郎に東蔵であったのだから、十六年をひと昔とするなら五十年は三昔余り二年、東蔵としても『伊勢物語』上演史上、珍しい記録を作ったことになる。(今回の三人娘が米吉、児太郎に京妙という配役も、もしかすると語り草になり得るかも知れない。わけても、京妙のカマトトぶり畏るべし!)

染五郎の豆四郎&業平、菊之助の信夫&井筒姫も、勘弥の豆四郎の切ってはめたような役者ぶりといったら、などと言い出したところで二度と帰らぬ繰り言と思い定めてしまえば(そうとでもしなければ、どもならんがな)、当代での好一対と認めてよく、又五郎の鐃八また当代でのもの、要するに今日、この配役で駄目ならそれまでのものと思いあきらめるしかないところであった。(これだけの鐃八であるなら、あんな『熊谷陣屋』の梶原みたいな死に方でなく、原作どおり井戸を使う演出を考えてもよかった。そうでなくとも、筒井筒の井戸でもあるのだから、井戸は大切なのである。)

それにしても、私はそのほんの一端を見ただけだが、このところの吉右衛門のテレビその他マスコミへの「露出」の多さは大変なものであるらしい。PRにそれだけの力を注ごうという意気込みの表れだろうが、前回上演から50年というのは、いかにも長い。あまりにも長かった、と過去形で言わずに済んだのが幸いであった。この間幾度か、幻の企画はあったようだが、そのひとつ、私も耳にしていた十三代目仁左衛門の有常に十七代目勘三郎の小由というのは、惜しみても余りある、まさしく幻だったわけだ。(それはそうと、今度の外題に添えてある「紀有常生誕一二〇〇年」とは、よくもまあ「つけたりな」と感服つかまつった。こういうことを考えつく「知恵者」が松竹にはいるということか。)

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敢えて項を別にして書くが、序幕の奈良街道の場に菊之助の信夫が娘姿で出てきた一瞬、ある種の「違和感」というと語弊があるが、しかし他に適切な言葉が思い当らない、不思議な感覚に襲われた。本来当り前の筈の女方の姿で登場した菊之助を「珍しい」と感じたのだ。もちろん、それはほんの一瞬の、幻覚のようなものであったが。

それにつけてもこの人、信夫にせよ井筒姫にせよ、『先代萩』での沖の井にせよ、およそ「隙」というものを見せないのは、どういうことなのだろうか? このおそるべき完璧主義者よ!

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これは新聞にも書いたが、梅玉が『双蝶々』の「浮無瀬」を昼の部の開幕に出したのは、一幕物としては完結性が弱い難があるが、これを序幕にして「相撲場」「引窓」と出すという出し方も「あり」だな、と気づかせたのは功績である。昨今の歌舞伎座の献立の時間配分からすれば、この三幕でちょうど、昼夜いずれかのメニューとして程がいい。「相撲場」「米屋」「引窓」の三点セットより、むしろ、現代の観客向きだろう。

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『紅葉狩』で染五郎長男の金太郎が山神を踊って攫ってしまう。早や五年生の由。天晴れ。

『伊勢物語』では序幕の「奈良街道茶店の場」で大谷桂三の長男が本名のまま初目見得をする。幕が開くと、後ろに立つ茶店の主人役の桂三と前後に重なるように床几に掛けていて、セリフもなしに下手へ引っ込むだけだが、筋書に顔写真まで載せてある。桂三という人の越し方を見てきた者として感慨なきを得ないが、天晴れ、父の叶わなかった活躍をするような役者になるよう、願わずにいられない。

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吉右衛門が仁木をするとはいえ、玉三郎が政岡をする『先代萩』の通しが夜の部を占めるというのは、秀山祭としてはやや異例の感もあるが、そう思わせるひとつの理由は、序幕の「花水橋」は別として「竹の間」「奥殿」と続けると、この長丁場がまったくの「玉三郎色」に染まるからだろう。かつて歌右衛門がしばしばこれと同じ出し方をして見る者を圧倒し、くたくたにさせたものだったが、それとこれとは意味合いが違う。シェフ玉三郎独自の調理法による玉三郎スペシャルのフルコース、と新聞に書いたが、そうとでも言うより他に言い表しようが思いつかない。ともあれ、こういう政岡は他に見た記憶がない。玉三郎としても、ここまで徹底したのは今度が初めてだろうが、但しそれは、玉三郎が一人屹立したり、圧倒的な存在感を見せるようなのとは趣きを異にする。むしろ、選手兼任監督ならぬプロデューサー兼任立女形でもあるかのように、プレイヤーとしての存在感より、プロデュースする目配りの方に、より比重が傾いているかの如くである。

松島を出さず沖の井ひとりに集約したり、これは前回所演の時からだが小槇に仁木等一党の悪計を暴かせてしまうのも、プロデューサー玉三郎発案の「型」というべく、もうこの二幕だけで物語が完結してしまうかのよう。それもあって「竹の間」では菊之助の沖の井が一人芝居の感すらあったり(松島を出さないのは本行の文楽に即したとの由だが、玉三郎の政岡の演技は、むしろ義太夫離れを一段と進めているようにも見受けられる)、かつてなら源之助とか、まあベテラン女形のややくすんだ役どころだった小槇が、俄然立った役になって、児太郎また起用に応え、声音と言い調子と言い、福助さながらに(それにしてもこれほどのソックり親子はざらにはいるまい)、なかなかしっかりしたセリフを言う。と、それはいいのだが、小槇にここまでずばりと仁木等一味の悪計を暴露させてしまうと、「問注所対決」はなくても済むことになりはしまいか?

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そのあおり、というわけでもあるまいが、「問注所」以後の男の世界の争いになってから、何となく気勢が上がらないように感じたのは気のせいだろうか。吉右衛門の仁木は、床下の引っ込みも、上下に身体を浮き沈みさせ浮遊する様を見せるなど、こちらは終始、ねずみ色に染めてしまうような妖気漂う仁木で,もちろんその芸容の大も見事なものなのだが・・・まあ、『伊勢物語』疲れか。

染五郎の勝元が、「仁木弾正、恐れ入ったか」と弁舌さわやかに持ってゆくところが、どうも画竜点睛を欠いた感があるのは(所見日には同情すべきアクシデントがあったが、しかしあのぐらいは何とかカバーしなくちゃ)、やはり染五郎の発声がひと色で、長口舌を聞かせるには、調子にカワリがないためだろう。『勧進帳』の弁慶ではあれだけのものを見せたのだったが、やや元の木阿弥の感あり、か。

結局,大歌舞伎伝統の「味」を味あわせてくれたのは、梅玉の頼兼と又五郎の絹川による序幕「花水橋」ということになる。染五郎に頼兼を、梅玉に勝元を、という配役もあったろうが、もっとも、吉右衛門仁木VS染五郎勝元という、叔父甥対決の趣向でもあったのだろう。

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赤坂ACTシアターの間口の割にタッパの高い舞台に、黒・白・茶という中村座の定式幕がよく似合うことに、今更だが気が付いた。「歌舞伎カラー」としてイメージの固定した歌舞伎座などの定式幕よりも、この劇場にはむしろふさわしい。両脇や天井が黒に統一されていることもひと役買っているが、七之助の『お染の七役』に勘九郎の『操り三番叟』という今回の二本立ては、この劇場の構造、醸成される雰囲気、期待感といった意味からもこの劇場によく似合う。赤坂歌舞伎の客層を考えればこれまでで最上のメニューだろう。どことなくよそよそしい感もなくもなかった『文七元結』のような世話の人情劇よりも、パノラマチックに展開しながら歌舞伎らしいイメージを満足させる。(かつて白鸚たちの東宝時代、帝劇のあの黒い石の床の上で『寺子屋』をしたときの違和感は今に忘れない。白鸚、二代目松緑、雀右衛門、先代又五郎という顔ぶれであったにもかかわらず、どうにも身に沁みなくて困ったものだ。)

姉様人形のような七之助はもともと七役にぴったりの仁だが、昨今の急成長でこの狂言を背負うだけの、役者として大人になったことを証明した。勘九郎と二人、亡き父によき追善をしたことになるが、勘九郎に鬼門の喜兵衛はちょっと苦しい配役で、役違いの役を無理につとめても得になることはない。自分の出し物として『操り三番叟』を出すのだから、喜兵衛は弥十郎に任せて(これはきっといいだろう)、勘九郎が山名屋に回るなら、少々若すぎるとしても「ご馳走」として微笑の裡に受け容れられるだろう。

それにしてもこの『操り三番叟』にしても、この前出した『乳房榎』にしても、どちらも延若から受け継いだ遺産である。いささか感慨なしとしない。

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ところで五輪エンブレム騒動ではないが、『お染の七役』など、もしそれをパクリというなら全篇パクリで成り立っているような芝居といえるだろう。書替えという発想、さまざまなモチーフの組み合わせで成り立つさまざまの約束事、その大元は本歌取りという発想の上に成り立っている歌舞伎というもの自体、パクリの総合芸術のようなものとも言えようが、オリジナルと言ったってそもそもまったくの無からの創造などというものはあり得ないのだから、パクってそれが元のものより優れていればそれこそがオリジナルなのではあるまいか? 前の東京大会の折の亀倉雄策の有名作が、アメリカ煙草のラッキーストライクから戴いたものだとは知られた話だが、そもそもそのラッキーストライクが日の丸をおちょくったものだろう。つまり亀倉のあの作は、オリンピックという全世界注視の中で仇討ちをしてのけたのだ、と私には見える。

(今度のエンブレム三種の中ではあまり批判の対象になっていないようだが、黒地に赤の日の丸と思しき円をあしらったパラリンピック用のエンブレムを見た瞬間、これは花札の坊主だと思ったが、相手が花札のような「古典」の場合はパクリとは言わないのだろうか。)

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文楽は咲大夫が休演である。もちろん休演は今回だけのことだが、こうなって見ると、文楽で誰それを聴きに行くという昔ながらの楽しみ方はもうそろそろおしまいなのだなと、改めて思われる。実はとうの昔に、誰それの「芸」を聴きに(見に)行くより、「文楽というもの」を鑑賞に行く、あるいは勉強に行くものになっているのだが、改めて、この休演によってそれが思われたというわけだ。代演の文字久大夫だってなかなかよく語って悪くなかったし、『妹背山』の「金殿」の段を語った千歳大夫など相当の名演だったが、それとこれとは別の話である。

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『伊勢音頭』を文楽で聴くのは随分久しぶりだが、これはもう、歌舞伎の『伊勢音頭』とは同じ題材、同じテーマを扱った別作品と考えた方がむしろいい。そう割り切った上で、上手い大夫が語ればこれはこれで面白いということになる。

『鎌倉三代記』も、こうして「本行」のを見ると、歌舞伎の『鎌倉三代記』を今のうちにきちんとした形に整えておく必要を考えさせられる。昨年幸四郎が前の方を少しいじくった形で見せたが、つじつま合わせでなく、歌舞伎としてのスタンダード版を作ることを考えるべきだろう。吉右衛門がしてくれればもちろんいいが、幸四郎が取り組むのにふさわしい仕事のようにも思われる。

『妹背山』が今回は「お三輪篇」だったので、「杉酒屋」を「井戸替え」からこれも久しぶりに見ることが出来た。これこそ、文楽を見て「勉強する」のにふさわしいものだ。まさに「本行」ならではの価値がある。

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新橋演舞場で、北条秀司の『比叡颪し』を改題した『有頂天旅館』というのを渡辺えり、キムラ緑子、段田安則等々、当代の芸達者連中を揃えて出した。もともとの作の面白さは生きているから、まあ悪くはないのだが、初演の時代の役者たちと、芝居の仕方が随分と違っていることを思わずにいられない。ひと言で言えば、テンションが高すぎて笑いにゆとりがないので見ていて疲れる。この当代の手練れたちにして、常に笑いを取っていないと不安なのだろうか?

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『有頂天旅館』は十日間で終り、新橋演舞場は引き続いて松竹新喜劇、これが約半月、併せて一本という九月興行である。近頃こうした短期の公演が目につくようになった。それはともかく、新喜劇としては去年に続いての本興行、めでたいというべきである。とにかくここには、紛れもない「芝居」がある。

茂林寺文福作の『先ず健康』『一姫二太郎三かぼちゃ』の二作など、初演は戦前でありながら、たとえば電報をスマホに直すような補修をしてその時その時の「現代」の話に焼き直しながら、いまなお見事に現代劇として成立しているのだから、その作品構造の堅牢にして柔軟なこと、驚くべきしたたかさと言わざるを得ない。近代演劇史の名作者列伝中に北条秀司や菊田一夫などと並んで(もしかしたらそれ以上に?)、茂林寺文福も一堺漁人も館直志も、名を留められて然るべきである。そういう作を演じこなせる新喜劇の役者たちというものは、これぞプロフェッショナルいうべきであろう。渋谷天外はなかなかいい役者になったし、寛美の孫の藤山扇治郎は、学ぶは真似ぶという修行段階を、ともかく金を取って見せられるところまでは成長した。   

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明治座の『三匹のおっさん』を、御社日に差支えがあって初日に見に行った。原作の小説は読んだことはないが、脚本も演出もよくできていて、なかなか面白かった。こういう芝居をする劇場は、演舞場か明治座ぐらいになってしまった。それにしても明治座の初日というのは、大口の団体が入っていたり、何だか昭和40年代ごろに戻ったみたいで、一種のなつかしさすらあって悪くない。

>歌舞伎座だって、かつてはこれに似た情景が繰り広げられていたのだ。幕が開いた時はがら空きだった一階席から、暫くすると、ガサゴソガサゴソ、蚕が桑の葉でも食べているような一大騒音が三階席まで昇ってくる。つまり、お土産の入った紙袋を持った集団が食堂から大挙して入ってきたのである。その三階席には、開演中だろうとかまわず、観光バスの到着次第外国人観光団がどやどやと入ってきて、しばらくするとまた、芝居の最中だろうと構わずどやどやと出て行く、ということが日常茶飯事だったのだから、それを思えば、今は「進化」したものだと言えないこともない。

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購読している新聞の読者欄で、投稿者の間でちょっとした論争があった。前に乗り出して見るなど観客の観劇マナーについて投稿があったのに対して、芝居を見る時ぐらい自由な姿勢で見たいという反論が掲載され、別の投稿者も加わって、ひとしきり、両陣営で甲論乙駁があったのである。こういう論争が新聞紙上で行われる、つまりこういう「自由」を当然の権利と考える人がいてしかも賛同者が出るというのが、「現代」というものなのであろう。

そういえば、かつて歌舞伎座の筋書の最終ページに「お客様へお願い」という欄があって、三階席のお客さまは、後方のお客様の妨げにならぬよう前に乗り出さないよう願いますと書いてあったものだ。それとは別だが、よく、和服姿の昔風のお婆さんが三階席の椅子にちょこんと正座して見ている光景を見かけたものだった。実をいうとちょっと困ることもあったのだが、いま思えば良き光景であった。