随談第544回 今月の舞台から

平成中村座は前売りほぼ即日完売状態、四代目鴈治郎襲名興行の歌舞伎座は処々に空席を見る、という現実が、今日の歌舞伎をめぐる状況をさまざまに物語っている。当然でしょ、と言ってしまえばそれまでだが、そう言ってしまってはお終いでもある。

少なくとも、今月の襲名披露二演目に関する限り、どうして新鴈治郎は悪くない。改めて実力のあるところを証明して見せたとも言える。とりわけ『河庄』はなかなかのものだ。あれだけ出来れば先ずは充分ではないか。元々、花よりも実の人だ。二代目だって、本質はそうだったろう。おとうさんそっくりと言われて持て囃されていた若き日の境涯から脱して自身の芸を作り上げたという、定説となっている二代目論の語るところの底にあるのは、つまりそのことだろう。三代目、つまり坂田藤十郎は、父を飛び越えて祖父初代を見ているように私には見える。ひとつ飛びに、四代目は祖父二代目につながる人と、私は前から思っていた。少なくとも、『河庄』をあれだけ出来て、この襲名が実を示したことは間違いない。『廓文章』だって、二代目のは決して華やかなものではなかった。

違いをいうなら、上方人の体臭の有無だろう。が、それを言われても、四代目としては如何ともし難いであろう。上方に居を移しさまざまの努力をしていることは聞えているが、努力によって実を結ぶものと、如何ともなし難いものの別は自ずからある。そのことを以て、私は少なくとも、四代目を云々しようとは思わない。まずはこれでよし。後は、観客の信頼をこれからどれだけ積み上げて行けるかである。

大顔合せの『芝居前』から一家水入らずの『口上』へと、二段返しにしたのは、ひとつには藤十郎の体をいたわってのことでもあったろうか。体をいたわると言えば、「芝居前」に我當が姿を見せるが一言も発せず。が、実にいい「役者の顔」である。秀公といった若き日からの来し方を思わざるを得ない。

玩辞楼十二曲と角書のついた狂言がもう一つあって、『碁盤太平記』が扇雀、染五郎、壱太郎という顔ぶれで40年ぶりに出る。これが存外の拾い物だったのは、40年前の二代目の所演が先代を意識するあまりか渋滞してどこかぎくしゃくするのが事をつまらなくしていたのに反し、ひ孫・やしゃ子の代の若い彼等には、初代への崇敬の念はあっても二代目のようなコンプレックスとは無縁だからであろう。見るこちらも、むしろ新鮮な思いで見ることが出来た。思うに渡辺霞亭の脚本は、本来『仮名手本』の先行作であるこの作を、「七段目」や「九段目」から逆算してこしらえた改作と見るべき作であり、それをいまこの顔ぶれでやれば、むしろ一風変った新作物のような感覚で見ることが出来る。40年前の二代目は、父から半周遅れの選手の如くだったが、今回の扇雀や染五郎や壱太郎はトップランナーのすぐ前を周回遅れで走っているランナーのようなものだ。三人とも、好演と言っていい。特に扇雀は、むしろこうした立役に活路が拓けるのではあるまいか。染五郎が岡平を機嫌よくつとめているのを見ながら、かつて『乳貰い』を演じたり、上方の芝居への志向を見せていたのを思い出した。壱太郎の主税もよくやっているし、彼等によるこうした路線は掘出し物になり得るかもしれない。

幸四郎が『石切梶原』を「星合寺」として出したのは初代の型に従ったもので、玩辞楼十二曲とは謳ってはいないがそれに準じた心であろう。もっとも、「型」とはいっても初代がどういう風に演じていたのかはわからないから、背景が「鶴ヶ岡八幡」と違い、神仏分離で鳥居がないことぐらいで、することはいつもと変わらない。(初代の梶原が、発句でも吟じているのか短冊を手に梅の枝ぶりを見上げている写真を見たことがある。)この優独特のものものしい物言いは「幸四郎ぶり」として認めるとすれば、前回辺りから、この人なりの遊び・ゆとりが生まれ、舞台が明るくなってきたのは慶賀すべきことである。それにしても、大家連のなかで最長老のこの人が、こうして自分の出し物をかっちりと受け持っている元気は大したものと感服する。

先月の弥太五郎源七で苦闘した錦之助が、俣野でいい役者ぶりを見せるのと、梶原方の大名で出ている由次郎が、床几に掛けている上半身が傾いでいるのは気になったが、セリフを言い出したら、口跡はいつもの通りだが、調子が見事に大名のセリフになっているのに感心した。さすがに「本格」を知っているのである。

『六歌仙』を見ながらつくづくと思ったのは、これが現在能う限りの大顔合せなのだということであり、その意味である感動に襲われた。つい二年前のこけら落しで『喜撰』を踊った記憶に新しい三津五郎は既にない。しかしいまここにこうして、これぞ大歌舞伎と言い得るだけの豪奢を感じさせる『六歌仙』が目の前に繰り広げられてゆく,という思いである。

左團次の僧正遍照が良かった。この人はこの人で独自の道の歩み方をしながら、いつの間にか、こういう遍照を演じる境地に達していたのだ。過去に見た遍照たちの中でも、この場のエスプリに通じているという意味で極上と言っていい。

仁左衛門の文屋が登場しただけで香気匂うが如き心地がする。この曲は、過去に幾多の踊りの名手が踊っている。仁左衛門は決して踊りを出し物にする人ではない。しかしここには、紛れもない、この曲が求める文屋がいる。

業平は梅玉である。今この大一座で、この役をつとめるべき人がつとめる業平でといっていいだろう。

菊五郎が『喜撰』を踊る。当代での『喜撰』の踊り手であった三津五郎が仮に健在であったとしても、この月この場で菊五郎が『喜撰』を踊ることが一番ふさわしいと思われる、そういう喜撰である。菊五郎という人の、それが役者としての「徳」なのだと考える他はない。

吉右衛門が黒主である。黒主という役が全曲の中で占めている位地に、吉右衛門が座って揺るぎがない。黒の衣冠束帯という凄みのある姿のこの人の目が、一種の笑いを含んでいるかに見える。それがこの『六歌仙』という曲の曲想の大元にある遊び心に通じている。

魁春が小町をつとめる。こうした大顔合せの中でつとめる小町としての格を備えている点で、いまこの人を措いてないであろう。大成駒歌右衛門の薫陶を受けた人の値打ちが、こういう時に物を言い始める。

お梶は芝雀がつとめる。二月の玉織姫、三月の立田の前と、労多い割りには功の少ない役をつとめてしっかりと支えてきた人が、こうした、洒落で丸めて洒脱で味付けをしたような役で出てきて、あゝお父さんそっくりだと思わせる。こうした華やいだ役を、これからもっとしてもらいたい。

敢えて繰り返すが、これぞ大歌舞伎。歌舞伎座という器にこれほどよく映るものはない。堪能した。

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平成中村座が勘三郎没後初の公演というので、「復活」という文字がマスコミに躍ったり、テレビのワイドショーまで賑わせているという社会の反応が、「勘三郎人気」という言葉だけでは収まり切らない何かを察知させる。勘三郎の残した遺産(レガシーと、当世流に言うべきか)は大きかったといえば、いかにもマスコミ風になるが、平日ということもあってか所見日の観客の年齢層はむしろ高そうに見えた。若い観客が少ない、というより、中高年層にまで、勘三郎の支持層が大きく広がっていたということであろうか。

勘九郎・七之助兄弟に座頭格として兄貴分の橋之助という顔ぶれは、ファミリーで固めたといえばその通りだが、役どころから言ってこの三人が揃えばいろいろな芝居が出来る。兄弟にとってはもちろん、橋之助にとっても、こういう形で座頭級の役を手掛けられる機会は大いに結構、どころか遅すぎるぐらいだ。勘三郎・三津五郎という次期を担う人材をあれよという間に失ったいま、大関がいない番付のようなもので、名目上でない実力ある者が大関の座に就くことが焦眉の急だからだ。たとえば大星役者、弁慶役者は、いま、幾人いるだろう? 熊谷や盛綱がつとまる役者はどれほどいるだろう? 歌舞伎人気は、いま、戦後70年間でも屈指だろうが、こうした座頭級の役々を一定レベル以上に演じられる、あるいは演じた経験のある役者の数といえば、多分一番少ない時期であるかもしれない。歌舞伎の岩盤はちょっと見ほどは厚くないのだ。

それにしても橋之助は、弁慶にせよ幡隨長兵衛にせよ、いい役者ぶりなんだがなあ。序幕の山村座で客の間を割って出てくるときの風情など、堂々の座頭ぶりである。思うにこの人、やや荒れ球の剛球投手で、制球をよくしようと球を揃えると単調になるのが悩みの種か。さりとて角を矯めて牛を殺してしまっては元も子もないし‥… 

勘九郎は富樫にせよ魚屋宗五郎にせよ、いま持てる力を充分に出している。いい富樫であり、いい宗五郎であることは間違いない。芝居におのずから緩急のあるところが血筋というものだろう。父よりも、祖父よりも、骨っぽいところがあるのが面白くもあれば、将来へ向けての強味でもあって、現に今度の二役にもそれが生きている。祖父は宗五郎は遂に一度もしなかったし、父も初役の時は今度の倅ほどではなかったと思う。富樫も、三人のなかでは勘九郎が仁の点では一番だろう。

七之助が父を失ってから急速に大人になったとは誰しも言うところだが、精神的なものと同時に、それまで蒔いた種が若木となって伸び始める時節にめぐり会ったのだとも見える。要するにれっきとした一人前の役者として、芸がめきめき大人になりはじめたのだ。義経の気品は、むしろ成駒屋の祖父を思わせる。まず上々といっていいが、ただ一点、肝心の「判官御手」のところで女になった。心を籠めたつもりが…‥。この件が難しいと言われる所以を、見る側のわれわれとしても逆に教えられたとも言える。が、これはいまの七之助として別に恥ではない。

お三輪はよかった。仁・柄・芸質、これだけ揃ったお三輪はそうざらにはない。将来へかけての代表作になるだろう。右中間を大きく破る三塁打。

『魚屋宗五郎』の「磯部邸庭先」で、詫びの金を受け取る件が、私の見た日、飛んでしまった。弥十郎の浦戸十左衛門が金を渡すきっかけを失ったためかと思われる。原因は想像がつくがいまここで犯人捜しをする気はない。いずれにせよその日だけのアクシデントだろうが、あそこで宗五郎が金を受取らなくてはあの場を出す意味がなくなってしまうのだから(逆に前進座ではそれを嫌って「磯部邸」は出さないという、いわばイデオロギーにも関わる問題なわけだ)、気を付けてもらわないとよろしくない。

獅童の殿様が随分勢い込んで出てきたが、あれでは宗五郎に謝るためではなく、妹ばかりか兄貴までお手討ちにしそうにも見えかねない。『双蝶々』の放駒など、いい相撲取りなのだが、与五郎となると柄の良さだけではつとまらない。一度義太夫を身を入れて勉強しないと、可惜見たさまを褒めるだけで終わってしまいかねない。

『幡隨長兵衛』の「山村座」で水野が正面真後ろのいわゆる「お大尽席」から長兵衛に声を掛けたのは、この小屋でするならそうあるべきだろうが、そうすると、長兵衛の子分たちが客席から舞台の長兵衛のところへ駆けつけるのはちょっと理屈に合わないのではないだろうか? 『高坏』の最後にうしろの松羽目ならぬ「桜羽目?」を開けて夜桜を見せたのはアイデアだったが、私の見た二日目は暖かな上天気だったからよかったが、今年の天候不順、雪など降った日はどうしたのだろう?

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新橋演舞場で「滝沢歌舞伎」10周年というのを見た。開演1時間前に人と会う用事があって出かけたら、もう客を入れ始めている。きっと劇場前に人が溢れたのだろう。二階のトイレもすべて女性用に転用されるなど、男というものは招待席の他にはいないのではないかと思われる女御ノ島状態で、これだけの支持を集めているのだから大変なことと言わねばならない。その「宙乗り」(と言うのかどうか)の見事なことだけでも大変なものだが、『蘭平物狂』の梯子のタテなども取り込んで上手にやるのを見ながら、ふと思ったのは、スーパー歌舞伎に限らず、また宙乗りに限らず、彼等がこれだけやる以上、歌舞伎の若手連がチョックラチョイとしたケレンをしたところで、観客たちから見たら何ほどのものとも見えないのではないか、ということである。

だからもっとやれというのでも、もうやるなというのでもない。こういうレベルでこの人たちはやっているのだよ、ということを一度落ち着いて考える必要があるのではないかということである。

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新国立劇場の『ウィンズロウ・ボーイ』が面白かった。約3時間の上演時間、4幕すべてウィンズロウ家の一室を動かさず、時だけが二年間を移ろう。その間の事態の推移と共に、ウィンズロウ家の人びとの変貌が浮かび上がるという仕組みだ。自ずから、セリフのやり取りが途中でやたらに断ち切られるということがない。ひとつのシーンが5分と持たず暗転になってしまうという、近頃よく出くわす味気なさとは無縁であり、要するにこういう脚本はよほどの力量のある作者でなければ書けないのだということを、改めて知らされる。私のような「古風な」観客には、久しぶりに芝居らしい芝居を見たという思いがして、それだけで既に有難い。

第一次世界大戦が始まる二年前から開戦となるまでの二年間のイギリスの典型的な中流家庭が舞台で、第一次大戦というものがイギリス社会の上流・中流・下層、すべての階層に及ぼした変化変貌を扱った作品というのは、演劇映画を問わず、大概面白い。昨年からNHKで放送している『ダウントン・アビー』もその一つに数えられる。知的でシニカルな語り口というものは、作者の如何を問わず共通するイギリス流というものなのだろう。『ウィンズロウ・ボーイ』はその代表にして典型と言える。

はじめは、俳優たちの立居や言葉の調子が妙に「現代日本」的なのが気になったが、もしかするとこれは演出者の意図であったのかもしれない。それでも馴染んでくる内に、その印象は薄れないなりに、各優みな、なかなかの好演をしているのがわかった。これで3回目という新国立劇場の演劇養成所の出身者が脇の役々を勤めた舞台として、最も成果を上げたといえよう。

お喋りの女中の善意だが独りよがりの長セリフで結末が告げられる場面を見ている内に、卒然と、むかし見たこの作の映画版のラストシーンが記憶の底から蘇ってきた。作者のテレンス・ラティガン自身がシナリオも手掛けたのであることは、筋書の記事で今度初めて知ったことだが、もう一つ、これも中学生の昔に見た『超音ジェット機』という映画のシナリオもラティガンの手になるものだったことを巻末の作品リストに教えてもらった。はじめて音速を破ることに成功した飛行士とその妻の物語だったが、ジェット戦闘機で空中高く上がってから、宙返りして急降下する中で音速に達する。途端に操縦桿を逆に押さないとそのまま地上に墜落してしまう、という場面をいまも鮮明に思い出すことが出来る。アン・トッドといういかにもイギリス女性らしい女優が主役の妻の役だった。

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ひさしぶりにサンシャイン劇場へ出掛けて、つかこうへいの『広島に原爆を落とす日』を見る。「戦後70年特別企画」とある。みなみな大変な熱演だったが、曾我廼家寛太郎の存在感が抜きん出て見えた。

それにしてもつかという人は、言わんとするところはよくわかるし共感もできるのだが、何故あそこまでドガチャガやらないと気が済まないのだろう? ファンも亦、それを望むからだろうか?