随談第533回 今月の舞台から

勘三郎追善の歌舞伎座。兼ねる役者二代のこと、ゆかりの演目には事欠かないが、中で『伊勢音頭』がちょっと異色なのにまず目が行った。十七代目ならむしろお鹿、十八代目ならまず喜助、でなければ万野というのが思い浮かぶ。貢はともに一度、しているようだが私はどちらも見ていない。十八代目は東京ではしていない筈。十七代目は、万野などもしていそうでしていない。そういう『伊勢音頭』を祖父・父、ふたりの追善に出そうという勘九郎の自負にホオと思ったのだ。もっとも仁左衛門の弁によると十八代目から勘九郎に教えてくれと頼まれた由、理由はそれで明らかなわけだが、勘九郎の自負と意欲の表われであることに変りはない。そこに興味を覚えた。今月はまずこれ、と目をつけた。

果してなかなかよかった。これでもう少し、和事の味が身について、とろりとした感覚が出てくれば、将来、よき「ぴんとこな」になるだろう。(元は武士、ということはあまり強調しない方がいいと思う。わざわざ「御師」に設定してあるところがこの狂言のミソなのだ。ピントコナの「ピン」に、元は武士という前身が隠し味になっているのだ。)

そもそもこの「ぴんとこな」というのをどう考えればいいのか? 仁左衛門だって、十三代目のような油壺から抜け出たようなトロリ感はずっと薄味なわけで、衣装も十三代目のような上方流の浅葱でなく、東京式の白絣だし感触も東京風に近い。おそらく自分の柄を考えてそうしているのだろう。私の目にある貢では、宗十郎のが一番それらしかったように思っているが、あれは紀伊国屋ならでは不可能だとすれば、東京の江戸前二枚目の中から選ぶなら、十一代目團十郎もだが、「ぴんとこな」というやや軽薄感漂う語感からすると、勘彌の軽みの方がぴったりくるような感じがしている。(それにつけても、十七代目のを見ておきたかった。)それとは別に、延若の上方ムード濃厚な貢も忘れがたく、この辺が私などの目にある前世代のなつかしき貢たち、ということになる。(当代の大物世代でいえば、菊五郎よりむしろ團十郎、というところに、トロリ感の多寡に関わる微妙な感触があるのだろう。)

お紺という役は、同じ愛想づかしをする役でも、八ッ橋とも逢州ともまた違うから、難しい割には儲かるところの少ない、女形の辛抱役みたいな難しい役と思う。若手がやると面白くも何ともないお紺になることが多い。これは梅幸のを一番見たし、他の梅幸の佳作たちと同じく、その時にはそれほどとも思わずに見て、後で考えると梅幸が一番よかったなあということになる、まさしく、拍手は幕が下りてから起る、これもその一典型だろう。七之助はなかなかよくやったと思う。(今月の七之助は、四役どれもヒットの十割打者、猛打賞である。)

玉三郎の万野は楽しんでやっているし巧いものだが、この役も、歌右衛門といい玉三郎といい、それぞれの一代の芸としてはもちろん認めるが、私の目にある、これぞ万野というのは、やはり多賀之丞である。あの夏姿の涼しげな様子といい、ナニッと振り返った貢にぷーっと煙管の煙を吐きかけるイキといい、それよりなにより、やはりこの役は、多賀之丞ぐらいの人がするべき役だろう。歌右衛門だって当然承知しているから、誰かの襲名とか何かの特別の折に、いわばご馳走としてしかしなかった筈だ。(それにつけても、先頃亡くなった吉之丞の万野を見ておきたかった。)

尋常な見方から行けば追善の目玉は、松王夫婦が仁・玉、源蔵夫婦が勘・七の『寺子屋』ということになる。初めの夫婦二人のひそひそ話を義太夫物の息の詰んだ遣り取りにしようとする努力など、いかにもこの兄弟らしい真面目な取組みようで好感度抜群、やがてよき物となるのは疑いない。玉三郎が千代だが、この手の芝居に取り組むのは随分久しぶりのような気がする。丁寧で心がこもっているのはひとえに故人への思い遣りであろう。仁左衛門は、園生の前を門口に蹲り手をついて迎えるといった、本文を読みつくして細かな配慮の届いた工夫を随所に見せ、もちろんいいのだが、半面、ここまで行くと、義太夫物の厚手さ、手強さが失われるという声も出てこよう。熊谷で小次郎の首を相模に見せる件の気配りなどと同じ伝で、これが「仁左衛門歌舞伎」なのだと認めるべきなのであろう。(私の見た日には、園生の前を呼び招くのに扇をかざしたが、これは後に聞くと、普通に呼子を吹くつもりが懐を探っても笛が見つからなかったので咄嗟の応急措置であった由。しかしこれだって、うっかり呼子など吹いて敵方の誰かに聞き咎められないものでなし、扇で招く方がよいという理屈も成り立たぬではない。あの時松島屋のおじさんが扇を使ったのがとてもよかった、などといって後世、型にならないとも限らない。)

亀蔵の玄蕃は仁よし柄よし、もっと仕出かしてくれていい筈だ。国生が涎くりをするようになったのには、感慨ひとしおという他はない。

『野崎村』のお光というのは、三〇有余年経った今も鮮明に覚えている十八代目若き日の秀作であり出世作のひとつだが、それを七之助がしてこれも結構である。(本来なら十八代目が久作をするところだったのだろう。)老母の件を出すのは六代目菊五郎以来、勘三郎家にとっては遺訓のようなものであろう。その老母を歌女之丞がしている。この人、国立の研修生から遂に幹部に昇格した。歌女之丞一人のことではない。つまり、道を拓いたのだ。腕の確かさは夙に人の知るところ、この人の「九段目」の戸無瀬に唸ったことがある。かれこれ三十有余年も前のことである。

お染を児太郎がするので如何にと思って見たが、これがちょいとしたヒットだった。何より、出ただけでお染になっている。あの衣裳が身についている。この手の役、この種の芝居は、まずそれだけで大したことなのだ。これなら児太郎は大丈夫だ、きっと一人前の女形として立って行けるだろう、ということである。

ところで、今度の『野崎村』の背景がいつものような書割でなく(つまり、遠見の上手下手に折れ目がなく)、円形のホリゾントに沿って描かれているように見えたが何か理由があってのことなのだろうか? 場面、ドラマの内容から見て、それによって何らかの効果が上がる(あるいは上がった)とも思われないのだが。(『俊寛』でだったら、遠見の船が水平線を渡ってくるところで、地球が丸い、ということを実感させる効用があるかも知れないが!?) このことと関わりがあるのかどうか、秀太郎のお常がいきなり家の裏手から出てきたのも、はじめから立ち聞きしていたみたいでちょっと変な気がした。

『鰯売恋曳網』。七之助の蛍火が三塁打。玉三郎との差はオーラがあるかどうかの違いだが、これがじつは百里の懸隔になるやも知れないのが、芝居道のオソロシイところである。もっとも、蛍火は玉三郎生涯の三傑と言ってもいいというのが私の考えだから、七之助たるもの、落胆するには及ばない。

藤・梅の『吉野山』その他の踊り三題は、預かりとしよう。橋之助が『三社祭』の悪玉、『吉野山』の早見藤太、『伊勢音頭』でお鹿と、場合によってはひと興行攫ってしまえそうな味な役を引き受けているのだが・・・。いまはまあ、来月の国立劇場の『先代萩』の仁木に期待することにしよう。

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新橋演舞場の猿之助。歌舞伎座に出ない記録を作ろうか、などとうそぶいているとやらいないとやら。冗談かと思っていたら満更そうでもないのかもしれない、と思わせるノリの良さであり、出来栄えである。俺はこれでやっていくのだ、と肚を決めているような肝の座り方である。

誤解のないように断っておくが、猿之助が妙なことを言っているぞ、などと吹聴するつもりで言っているのではない。またその真偽を知っているわけでも、真偽は如何に、ということを問題にしているわけでもない。要するに、猿之助のこの公演にかける意気込みと肚の据え方が並みではなく、それが出来栄えに反映している、と言おうがためのレトリックである。猿之助の舞台ぶりを蔽っているのは、不退転の覚悟、という奴だということである。

いきおい、舞台はアクが強くなる。拒否反応を示す向きがあっても、驚かない。所詮、それは好みの問題であって、翻って言えば猿之助は、万人に愛されることを求めていない、ということである。それよりもひたすら、俺流で押して行こう、ということであろう。来月の明治座に掛けて、四十八選の中から復活通し狂言ばかり三篇、選び出したところに、先代の嚢中から戴ける限りのものを戴こうという気働きが見える。

おのずと猿翁と比較することになるが、当代がまさっている、というか有利な点は女形が利くことで、『金幣猿島郡』はひとえに清姫で猿之助スペシャルぶりを発揮出来るが故に、先代まさりと言える。(亀治郎若き日の傑作『小栗判官』の青墓長者の娘お駒を思い出す。)当然だが逆もまた真なりで、『獨道中五十三次』では江戸兵衛の役者ぶりが先代とは比較にならない。もっとも、こんな比較をしても、いまのいま、大して意味のあることではないかも知れぬ。とにかく、昼夜十時間を超える長時間、退屈することなく堪能したことは事実である。ただ、少々日が経ってから思い出そうとしても、どこを切っても金太郎飴みたいに同じような印象に塗り込められてしまうのは、じつは猿翁もそうだった。が、こういうものはそれでいいのかもしれない。要するに、エンノスケが満載なのだ。(ただひとつ、『獨道中』の野路の玉川での丹波与八郎は、あゝ見えて猿翁にはもっと「詩情」があったぞ、ということだけつけ加えておこう。)

門之助が亀治郎の会以来ずっと付き合っているが、文殊丸のような役に無技巧で嵌まれるのは、今や貴重な存在といえる。猿翁に於ける九代目宗十郎と言ったら褒め過ぎのようだが、猿之助にとっての存在の在り方という限りでなら、宗十郎になぞらえてもおかしくない。亀鶴も亀治郎の会以来のつき合いだが、今後も縁を切らずに協力関係を続けるなら、かつての猿翁における歌六の働きをすることになるであろう。

その歌六が久し振りに澤瀉屋歌舞伎に応援出演しているのは良き光景である。如月尼で、米吉の七綾姫をいたぶるのを見ながら、父子で『時鳥殺し』を見たいと思った。少年老い易し、米吉のいまの初々しさの賞味期限が失われない内に、是非やるといい。如月尼などという役は、猿之助歌舞伎にいたればこそ回ってきた役だろうから、役者人生におけるひとつの記念にもなる。米吉が『猿島郡』では七綾姫、『獨道中』ではお袖と、赤姫と娘という「典型」をつとめて役柄の感覚をきちんと備えているのがいい。先月の皆鶴姫と初菊もそうだった。さっき児太郎について言ったのと同じ理由である。もちろん米吉は児太郎より先へ進んでいて、既に若女形としてひとつの足場を築いていると言ってもいいだろう。

錦之助も、かつての猿之助歌舞伎の同窓会組だが、『獨道中』でむかし二代目鴈治郎や宗十郎がやった作者の南北役にしても、『猿島郡』の押戻しの田原藤太にしても、こういう(これも典型である)役がサマになるだけ役者ぶりが上ったのが目出度いが、一方こういう人材に目をつけてスカウトしてくる猿之助の才覚は、まさしく猿翁そっくりである。来月明治座でやる『女團七』の伝授を乞うた竹三郎(『獨道中』に女小屋頭の役でちょっと出るが、俄然、他の連中とは物が違う)に目をつけたのなども、猿翁が、既に誰にも顧みられなくなっていた雛助に目をつけたのと、一脈、通じている。

開幕に右近以下の往年の21世紀歌舞伎組が同窓会よろしく、皆で『俊寛』を出しているが、右近も渋くなったものだなあ、と感慨ひとしおで拝観(!)した。サシスセソがシャシシュシェショになるような(たとえば『吉野山』の忠信なら、シェメテハウシャヲ、ウム、シャイワイとやるわけだ)師の悪癖まで学びに真似んで「わが物」にしてしまう師匠の影法師ぶりはそのままなりに、しかし右近は右近なりに、決して無駄に年を食ったわけではない、ということがよくわかる。(この春のスーパー歌舞伎Ⅱなど、右近がいなかったらどれだけ味気なくなっていたろう。)

笑也が20年前からちっとも進歩していないかのような千鳥をしていて(それはそれで、今となっては懐かしい)、一方『獨道中』で重ノ井姫などで出てくると、こういう「笑也ぶり」も悪くないよなあ、という気にさせる。不思議な役者と言うべきか。昔の二代目左団次の一門などには(初代猿翁一門にも)、古典だとさっぱりだが新歌舞伎をさせるとなかなかのものだという役者がいたが(そういう存在の生き残りみたいな人が、私などが歌舞伎を知るようになった頃にもまだいたから、多少は知っている)、この人もそういう類の、戦前風に言えば「新人」なのであろう。(いま普通に言う意味の「新人」とは意味が違うからご注意の程。)

国立劇場で高麗屋父子で『双蝶々』を通しで出しているが、長くもなるし、『演劇界』12月号にも書いたので、詳しくはそちらをご覧いただくことにしたい。幸四郎の濡髪を見て改めて思うのは、角力取りとか、『毛剃』の海賊九右衛門とか、異風の偉丈夫の役をさせると、この人のスケール感が有効に発揮されて、「幸四郎ぶり」もなかなかのものだと感心する。染五郎の三役もそれぞれいそいそと芝居をしている感じが、それぞれの役に適っているのがなかなかカワイくて、悪くない。濡髪も与兵衛(十次兵衛)も、「新清水」が出ると「角力場」から「引窓」への整合性が問題になってくる。そこらへの綾の掛け方に、高麗屋版『双蝶々』のミソがある。国立も悪くないよ、といったノリで推奨しょう。