随談第532回 逸ノ城はモンスターか(改訂・増補版)

(お詫び)昨日更新したブログには、貼り付け作業の際の不手際で後半部分が掲載されませんでした。改めて全文を掲載し、ついでに、既に掲載した前半部分にも手を加えました。お読み直し願えれば幸いです。

秋場所がああいう事態になろうとは、予期していた人はおそらくゼロに違いない。白鵬が31回目の優勝を遂げて千代の富士の記録に並ぶという「予定調和」は守られたが、以前なら下位の力士が大勝ちをしても横綱と対戦させるということはなかったから、従来なら逸ノ城が平幕優勝を遂げていたに違いない。それを白鵬と対戦させたのは、番付の序列にこだわらず対戦させるという最近の協会の方針の故でもあるが、逸ノ城が単にスイスイと白星を並べるだけではない、ただならぬ強さを示したからであるのは間違いない。つまりそこがモンスターなわけだが、これまでの常識が通用しなくなってしまうのでは、と一種の恐慌状態にまで陥らせるほどの騒ぎというのは、私の知る限りでは小錦の出現のとき以来だろう。

もっともあの時の小錦は新入幕ではなかったが、千代の富士が当てられたのではなかったかしらん。(病み上がりでもあったので、猪突する小錦の前にあっさり土俵を割った。千代の富士だってそうだったのだから、鶴竜関、がっくりすることはありませんぞ。)とにかくあんなデカい力士というものはそれまでいなかったから、こんなのに出てこられてはこれからの大相撲はどうなるのだろう、などと、誰しもつい考えてしまった・・・という意味で、今度の逸ノ城騒ぎはそれ以来、ということになる。(小錦のときは大関の琴風が必死で頑張ってなんとか土をつけたのだったっけ。高見山がはじめて上位と対戦した時は佐田の山と琴桜の両横綱がやられている。特に猛牛といわれた琴桜が立会いの突進をはね返された時は唖然とした。)

身体のサイズからいえば、逸ノ城は小錦みたいな意味での規格外というわけではない。しかし大陸人の巨漢独特のガカイの大きさ、底知れなさを感じさせるのが、小錦や把瑠都とはひと味もふた味も違う。(ちょっと習近平のデカさに通じるような感じもある。)そもそも出てきた頃の小錦や把瑠都は相撲をあまり知っているようには見えなかったが、逸ノ城は既に相撲をよく知っているらしいところが、不気味さを増幅させるわけだ。一年前の今頃はまだアマチュアで、まだ髷を結っていないというところが更に脅威を倍増するのだが、単なる力任せではなく、幕の内の名だたる力士たちを放り捨てるように投げ飛ばす技は理に適っているから、タイミング良く鮮やかに決まる。既に横綱相撲を取っているかに見える。上手になった腕を相手の首に巻いて投げるのが悪癖と指摘されているが、中日の大相撲放送のゲストに出演したやくみつる氏が、彼に限っては「逸ノ城スペシャル」として認められるようになるのではと言っていたのに、私も半ば同感する。自分より巨漢の相手には無理だが、稀勢の里クラス以下なら、あの形からでも投げ飛ばせるだろう。

七日目、勢が大熱戦の末、逸ノ城を仕留めた一番はまさに今場所の白眉というべき素晴らしさだったが(私は今場所は一日しか国技館に行けなかったが、この一番に出会えたのは幸せであった)、しかしあの負けた一番以後、逸ノ城に対する怪物視は却って強まったような気がするのは、世間の注目が前半戦よりはるかに増したためだろう。それにしても、あの眼の細さといい、本人はまったく屈託のないところ、寛政力士伝中の大童山という子供大関の錦絵みたいだ。大童山は看板大関だが、逸ノ城はひょっとして、谷風梶之助の再来になるかもしれぬ。(谷風も目が細い!)

稀勢の里の一回目の「待った」は明らかに稀勢の里が気遅れしたせいで、神経質な弱気をさらけ出してしまったのは、勝負師として致命的なドジを踏んでしまったことになる。あれを境に、逸ノ城は本当にモンスターと化してしまったのだ。同じ立会いの変化でも、鶴竜に対してのそれと、稀勢の里に対してのそれとでは意味が違っていて、対鶴竜の場合は初めからの作戦だろうが、対稀勢の里の場合は、稀勢の里の方が逸ノ城に変化をさせてしまったのであって、逸ノ城に非難される筋合いはない。初日に、照ノ富士が琴奨菊に変化をして勝った後、前から狙っていましたと答えて驚かせたが、モンゴル力士だからというより、それが現代風合理主義というものと考えた方が当っているだろう。対鶴竜については、逸ノ城もその意味で照ノ富士と同じ現代青年なのだと考えるべきであろう。白鵬が、テレビで、「この頃はお相撲さんというよりアスリートという感じが多くなってきましたからね」と言っていたが、なかなか奥行のある言である。

白鵬は他にもいろいろ、含みのある言葉を残したが、千秋楽の夜の番組で、場所前に逸ノ城に稽古をつけてやったときはこれで八番勝てるだろうかと思った程度だった、まあ、来場所でしょうと語っていたのは、意味深い言葉である。逸ノ城を、このまま本当にモンスターにさせてしまうかどうか、すべては来場所というわけだ。

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モンスター云々はともかくとして、新入幕でとんでもないのが出てきたと驚かせたという意味では、大鵬の出現した時とも共通する。大鵬は11日目まで勝ち続けたところで、既に三役力士だった柏戸に当てられて(当時は上位との対戦はこのぐらいが限度だった。現に翌年、佐田の山が上位との対戦なしで平幕優勝している)初黒星、結局その場所は12勝3敗だった。あとの2敗は、当時関脇の北葉山と、もう一敗はベテランの名人鶴ケ嶺(つまり逆鉾・寺尾兄弟の父である)だったが、もう来場所からは勝てなくなるだろうと、鶴ヶ嶺が勝利の弁の中で語ったのを印象深く覚えている。(今度も、千秋楽の安美錦にこの時の鶴ヶ嶺を重ね合わせたのだったが・・・。)

昭和35年初場所というその場所は、栃錦の最後の優勝の場所で、その頃恒例だった、楽日の翌日、優勝力士と三賞受賞者が出演して座談会をする番組で、司会者から、もし大鵬関と対戦していたらどうでしたかと問われて、イヤー、カタくなったでしょうねと和気藹々の裡に答えたのが、いかにも横綱の風格と思わせた。(栃錦と大鵬はその翌場所対戦し、電車道で栃錦が押し出してしまったのが、両者唯一の対戦となった。)

横綱の風格といえば、白鵬が土俵下での優勝力士インタビューで、もう一回で大鵬の優勝回数と並びますねと司会者に水を向けられて、何も答えず、じっとしている時の風情はなかなか良かった。愚問に対して、無言と微笑で答えたのである。その無言は、多くのことを語っていた。

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怪物といえば、先日亡くなった元関脇の若秩父も怪物と言われた一人だった。昭和33年秋場所に、のちの横綱の柏戸、豊ノ海(どうしてるかなあ)とハイティーン・トリオといわれて同時入幕したが(ハイテーィンというのが当時の流行語で、團子・染五郎・萬之助も梨園のハイティーン・トリオと言われたものだった。誰のことか、判りますね?)、まず話題を浚ったのが、柏戸以上に若秩父だった。塩を鷲づかみにして景気良く撒く力士の第一号だろう。戦前派のベテラン力士出羽錦が、それを揶揄するかのように、二人の対戦のときは殊更に、それも若秩父が盛大に撒いた直後、絶妙のタイミングで、ぽちっと、指先でつまむようにして撒くのが、評判の見ものになっていた。

このハイティーン・トリオを含めて「七人の侍」と呼ばれた若手集団が相次いで入幕し、最早戦後ではなくなり、皇太子さんは民間からお嫁さんを貰うし、タフ・ガイというのを売り物にした素人丸出しのセリフを言うスターが登場したり、世の中変ってきたなあと思わせた時代、若秩父が相撲界ではそうした代表のような役回りだった。しかしこの七人の内、役相撲以上になったのは、柏戸が横綱、北葉山が大関、若秩父ともう一人、若三杉のちに大豪となった力士が関脇になっただけだった。(野球でもそうだが、鳴り物入りで騒がれた新人も、現実に出世できるのはそんなものなのだ。)その七人からひと足遅れて、お一人様で登場したのが大鵬だったことになる。

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ざんばら髪で土俵に上がって旋風を起こした先輩の遠藤は、すっかり逸ノ城の影に隠れてしまったのは気の毒だったが、そろそろこういうことがあってもおかしくない段階にぶつかったのであって、今までがうまうまと来過ぎていたに過ぎないだろう。「天才的」ではあっても「怪物」ではない遠藤としては、これからが本当の勝負ということか。(モンスターだって、小錦や把瑠都のその後を思えば、今後どうなるか知れたものではない。)

小結まで行きながら、膝の怪我で三段目まで陥落し、毎場所各段優勝をして復活してきた栃ノ心が、来場所再入幕するのが見ものである。従来さほど興味を感じなかった力士だが、この初場所だったか、幕下まで復活してきた土俵を見て、面構えといい一段とたくましくなった身体から発するオーラといい、前とは別人の如くなのに、これはと思った。今度も十両優勝してインタビューを聞いたが、なかなかいい風格である。

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この頃、土俵上で気になること。

(その1)白鵬が制限時間一杯で塩を取りに行くとき、ヒョコヒョコッという感じで小走りになるのは、天下の横綱としてミットモナイ。ご当人としては、ヨシッと気合を入れているつもりなのだろうが、見たさまが安っぽくってよろしくない。一考ありたい。(勢がどうやら真似をしている様子なのも気になる。)

(その2)同じく時間一杯の仕切で、碧山が、相手がまだ仕切っている内に、クルリッと、片足を軸にして尻を向けて塩に行くのも、ちょっと失礼ではあるまいか。

(その3)これらはまあ、マナーというより見たさまの問題だが、近頃の一部の行司の土俵上の挙措は、ときに勝敗に関わりかねない。今場所は幸いなかったが、先場所など、土俵上で転んだ例が私の気づいただけで3件もあった。その内ひとつは明らかに勝敗の帰趨に関わるものだった。

(よかったこと)技能賞を5場所も続けて該当者なしを続けた異常事態を終わらせて受賞者を出したこと。受賞した安美錦に限らず、今場所は負け越しだったが嘉風にせよ豪風にせよ、豊ノ島にせよ、技をもって立つ技能賞に値する名手は決して少なくない。こう該当者なしが続くと、うっかりすると後世の人は、この時代、よほど名手不在の時代だったかと勘違いしかねないであろう。