随談第511回 新年あれこれ

あけましておめでとうございます。本年もよろしく。

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ここ数年来、年賀状を大晦日に書くようになっている。もろもろの事情からそうするのが目下のところ一番好適なのでそうしているに過ぎないが、古いCDを引っ張り出して聴きながらの作業が何とも気持ちがいいので、しばらくはこのやり方を続けることになるだろう。

歳末の雑用を何とか始末をつけて、午後になると、気のせいか街から聞こえてくる騒音もそれなりにひっそりとして、年越しを迎える気持ちもそれなりに定まってくる。まず、今年の新年に戴いた賀状の束を解いて、それから取りかかるのだが、この時に聴くCDをどれにしようか、咄嗟の判断で決める。すべからく、こうした選択は直感的に決めるに限る。いろいろ迷ったりあれこれ考え出すと、妙な儀式めいたものが出来上がってしまい、結局は自分で決めた儀式に自分で縛られるという馬鹿げたことになる。

とはいえ、例年のことだから、今度はあれを聴きたいなといった「おたのしみ」みたいなものは自ずと浮かんでくる。クラシックも落語もシャンソンも、どれもLP時代に愛聴した版をCD化したものばかりで、完全に菊吉爺イや歌團婆アの世界である。アルチュール・グリュミオーの弾くバッハの無伴奏パルティータだのヴァイオリン弾きのメニューインがリードするブラームスの弦楽六重奏曲といったたぐいで、録音の年月日を見ると大概は1960年代のもので、うっかりすると50年代なんていうのもある。こういうものは銀座の山野楽器あたりで廉く売っているのを、ふいと気が向いた時に買っておいたもので、新しい演奏家のコンサートを追いかけて聴くということをしなくなって絶えて久しいから、そもそも今どんな人が活躍していて今年はどんな演奏が評判だったかなどということは、たまたま何かの拍子に耳に入るか目に触れるかしたものしか、知らない。今を時めく海老蔵のことを昔の海老様とごっちゃにしているようなものだ。しかし、これがじつにいい、のである。

ひとしきり聴いて倦んでくると、今度は落語のCDだがこれも歌團爺イの世界で、まず馬生の「柳田格之進」を聴く。今聴いても涙がこぼれる。いや今だからこそ、むかし気がつかなかったところにふと心づいて、目が涙で潤んでくるのだ。このCDの録音はまた別の時のものだが、まだ改築前の新橋演舞場の古い畳敷きの稽古場で馬生が独演会をした時に聴いたのを今更のように思い出す。方々の落語会でちょいちょい顔を見かけて顔は見覚えているがが縁もゆかりもないままの、ちょっと齢の行きかけたOLといった風情の女性が、「あたし、落語を聴いて初めて泣いたわ」と連れの友達と話しているのが耳に入った。同感だった。あのころの馬生は本当によかった。ちょうど芝翫が、もう歌右衛門だ梅幸だと言っていられなくなるのではないかと思わせた時期と、ちょうど重なり合っていたこともあって、われわれも馬生にそれに似た期待を抱いたものだった。

つぎに文楽の「富久」と「愛宕山」を聴き圓生の「三十石」を聴き、彦六の正蔵の「淀五郎」と「年枝の怪談」を聴く。こういう世界があるのだ、いや、あったのだなあ、とつくづく思わないわけに行かない。

途中、年越しそばを食べ家族につき合って紅白歌合戦の終いの処をちょいと覗き、「行く年来る年」の最初の十五分、各地の除夜の鐘をしめやかに聞かせてくれるまで聴いてから、また取りかかる。今度は気分を変えてシャンソンにするが、これも歌團爺イの世界だから、コラ・ヴォケールだのイヴェット・ジローだのという、むかし中高生の頃、こういう世界もあるのだなあと知り染めた頃の、典型的な曲ばかりだ。だいぶ草臥れてきているのであまり刺激の強くない方がいいから、ジローの歌う「シャンソン・ベスト・コレクション」というのを聴く。ジローという人は強烈な個性を打ち出さず、典型を高いレベルで典型として聴かせてくれるところに値打ちがある。昔、ときどき、もう歌舞伎なんか見るのをよそうと思い決めて、しばらく見に行くのをやめたりしたことが何度かあるが、そういうときでも、ふっとなつかしさに襲われて見に行きたくなることがある。そういうときに見た梅幸の「娘道成寺」に心現われる思いがしたことを、いまも時々思い出す。梅幸という人も、そういう人だった。ピアフは死んでからドラマになるが、ジローのドラマなど誰も作ったりしない。しかしそれはそれで、立派な価値があるのだ。梅幸もきっと・・・

同じときに『乗合船』で三代目左団次の通人を見たのも、ああいうものはあの時でなければ見られまいと思う眼福だった。通人というものはまさにあゝいうものだという他はない。十七代目勘三郎だの、九代目宗十郎だの、その後にも、こういう通人は二度とは見られまいというような通人を見たが、左団次のは、それらとも更に次元を異にしたものだった。見ておいてよかった、とつくづく思う。『乗合船』の通人のような役にでも、そういうことはあるのだ。

話がどこやら菊吉爺めいてきたので、この一夕話はこのぐらいにしよう。ついでながら賀状は無事、元日の昼前には投函した。

と、まずは賀状代わりの雑文から、今年の第一報と行くことにしよう。