随談第506回 勘三郎随想(その31)

(勘三郎随想を再開します)

39.「ゆ」の章

十八代目を襲名する一年十カ月に及ぶ興行のなかで、勘三郎は、『髪結新三』や『娘道成寺』のような勘三郎の現在の頂点を示すいわば代表作から、『野田版・研辰の討たれ』まで、勘三郎はさまざまな演目、さまざまな役を演じたが、そこにひと筋、読み取れるのは、安定よりも実験や挑戦といった意志的な姿勢だった。『研辰』のような、物議を醸しそうなものを敢えて襲名披露の作品として掛けるというのももちろんその表れだが、代表作の『娘道成寺』のようなものでも、単に自信のある当り役を披露するというより、いまこの時の『道成寺』を、という果敢な姿勢で貫かれていた。そうした中でわたしがオヤと思ったのは、初役の『盛綱陣屋』の佐々木盛綱を、それも最初の月に演じたことである。

『盛綱陣屋』は、勘三郎自身、超弩級といっているように、いわゆる丸本時代物のなかでも長大で、ともすると難解になりがちな大作である。勘三郎としても、以前一日だけの「勘九郎の会」で試演をしただけで、本興行では演じたことがない。盛綱は、類型としては白塗りで生締の鬘の捌き役のようだが、そうした役の代表である『実盛物語』の斉藤実盛などと違って、もっと深刻で重々しい役のように演じられることが多い。父の十七代目も、二度、演じているが、正直なところ、かなり悪戦苦闘していたような記憶として残っている。もちろん、六代目菊五郎の系統の役ではなく、兄の初代吉右衛門の当り役であり、十七代目としてもかなり後年になってから取り組んだのだった。

盛綱というと、首実検の場面で長い時間をかけていろいろな思い入れをするのが、普通、眼目とされている。総大将の北条時政の前で、兄弟敵味方に分かれて戦っている弟の佐々木高綱の生首を実検するのだが、それが偽首なので、その意味を読み解こうとする。その推理の過程とそれに伴って刻々に変転する心境を、思い入れとして演じるのだが、そこで、誰それの演じる盛綱は七分かかった、誰それはもっと長かった、などということが話題になったりする。現に私も、たまたま近い席にいたさる高名な批評家が、その場面になると時計を出して計っているのを目撃したことがある。

たしかに、推理小説のように込み入ったストーリイが背後にあるには違いない。高綱は、作者が大坂の陣の折の豊臣方の参謀真田幸村にひそかに擬して書いた敵方の智将である。どんな謀(はかりごと)をめぐらしているかわからない。討死をしたという高綱の首というのは、ひと目で偽と分かる粗末な首だし、生け捕りにしたその子の、盛綱にとっては甥の小四郎の様子も曰くありげに見える。一方で、当然、肉親としての感情もある。兄弟にとっての老いた母、捕らわれたわが子の様子を窺いに来た弟の嫁もいる。といった、錯綜したドラマの綾を、見えすいた偽首の謎を解く一点にしぼりこんだ場面だから、誰の盛綱もここに力を入れて演じるのは当然だ。だがその結果、ともすると、首実検の所要時間が話題になるような、必要以上に物々しい演技になったりすることにもなりがちである。

私は、勘三郎が自分の会で一度試みたのは知っていたが、盛綱に大いなる関心をもっていたことには、迂闊にもつい気がつかずにいた。『熊谷陣屋』の熊谷とか『逆艪』の樋口といった典型的な丸本時代物の線の太い役は、いかに兼ねる役者勘三郎といっても、それこそ柄や仁からいって、なかなか手をつけにくいのはわかる。(父の十七代目も、こうした役は、盛綱もそうだが、手を染めたのは六十歳を過ぎてからだった。)それでも、『寺子屋』の松王丸や『義経千本桜』の知盛などは試みて、相当の成果を収めている。白塗りで生締の鬘という二枚目らしい扮装をする盛綱なら、勘三郎の領域に入っても不思議はないともいえる。

こうした役の中でも、とりわけ印象に強いのは知盛である。平成中村座の二回目の公演で、『千本桜』の三役を一挙に演じたときだったが、この月は国立劇場でも團十郎がやはり『千本桜』で三役をつとめるのと競演になるということがあって、話題を呼んだのだった。

勘三郎としては、三役のなかでは、忠信が白塗りの二枚目の役でもあり、すでに何度もつとめている。私は以前に、現代の第一線の十六人を論じた『21世紀の歌舞伎俳優たち』という著書のなかで、勘三郎の忠信を、父の十七代目がかつて演じた「四の切」の忠信と重ね合わせるように、その古風な役者としての資質について書いたことがあった。

十七代目は、何故かそれほど数多くは勤めなかったが、その忠信は、いかにも、狐という人外の者が人間の情に訴えかけることによって、人外の者の世界と人間の世界とが交錯する、民俗の記憶の奥深くに眠っている古い夢でも見ているような忠信だった。それは、『千本桜』という芝居のさらに奥につながっている世界を垣間見させる、幻覚のようでもあった。十八代目には、父のような古風さはない。それは、父と子の、生まれ育った時代の違いであって、如何とも仕方がない。だがそれにもかかわらず、静の打つ鼓の音に誘われて、階段の上にふわりと姿をあらわしただけで、人外という異形の者の実感を漂わせている。こんな忠信は、年長の世代をも含めて、現代という世に他にはいない。すでに何度も他の例にふれて言った、二代にわたる勘三郎の血のなせるわざとしか言い様がない。

同時に、その終局、化かされのくだりを僧兵を出さずにひとりでやってしまい、「飛ぶが如く」に花道を駆け入るまでの一瀉千里の働きは、ほとんど息の継ぎ目というものを感じさせない。その、芸そのもののすさまじいほどの卓抜さと、狐は鼓の子でもあると同時に、巣に待っている子のところへ帰る親でもあるのだという、役の根元にある二重性に勘三郎が見出した役への共感と。忠信は、襲名公演の掉尾を飾る京都南座でも演じたが、細部の演出にはまだ異同の余地は残していたとしても、芸として揺るぎのない段階にまで到達したのは、平成中村座の折だったと思う。

もうひと役の権太は、すでに言ったように、納涼歌舞伎が始まってまもなくに『千本桜』を通しで上演したときに初演している。こうした、一種の敵役から「もどり」になるような、手強さの求められる役は、むしろこの権太などが契機となってわがものとしたものだった。このときの三役のなかでも最も完成度が高かったのもこの役であり、その後、襲名の地方巡演でも演じている。つまりここまでは、勘三郎の役としてすでに不安のないものだったが、知盛は、常識的には、英雄役者と呼ばれるようなタイプの役者のつとめる役と思われていたから、勘三郎にはどうかと危ぶむ声が上がっても不思議はなかった。だがそれは、見事な知盛であった。単に演技の良し悪しではない。忠信もそうであったように、勘三郎は定式にとらわれず、独自の読み、独自の工夫を試みていた。

「渡海屋」で登場する時、傘をさして出るのが現在での通例になっているが、勘三郎はそれを破って、碇をかついで出るという、錦絵に見える古い型を試みた。この場面では渡海屋銀平という町人に身をやつしていた知盛は、やがて「大物浦」で碇綱を体に巻きつけて断崖から身を投げ、壮絶な死を遂げる。碇という小道具の果たしているシンボリックな意味と役割を考え抜いたこの「型」によって、登場と終局が見事に呼応し、知盛の悲劇は首尾一貫する。古い型の復活は、単なる珍しい試みではなく、実験がすなわち発見に通じたのだ。

渡海屋の銀平が、真(ま)綱(づな)の銀平という異名で呼ばれている意味も、これであきらかになる。傘をさして登場する現在の通例は、それなりの意味も効果もあったればこそ、誰かが始め、踏襲されてきたのだろうが、こうしてみると、碇にこめられていた意味を、半ばあいまいにしていたのだということもわかる。それより何より、大詰の知盛入水の悲劇は、こうすることによって一層凄まじくなった。

この成功は、また同時に、知盛という役が、柄の大きな英雄タイプの役者でなければならないという固定観念も、破ったことになる。平成中村座という空間も、成功のひとつの理由として挙げられるかもしれない。そうだとすれば、それこそ、勘三郎がこの新しい空間を作ってそこで新しい活動を始めた、「劇場論」そのものが意味を問うたことになるはずである。

こうして、平成中村座で試みた『義経千本桜』三役完演は、とりわけ知盛の成功によって、勘三郎個人の芸の上のことだけでなく、さまざまな意味を問いかけることになった。ただ惜しむべきは、平成中村座というと、『法界坊』の串田和美の演出による破天荒な演出や、『夏祭浪花鑑』のニューヨーク公演のような目覚しい活動とばかり結びつけて語られがちで、『千本桜』のことは忘れられがちなことである。それはさておいていま勘三郎個人の芸のことだけに話を限っても、この知盛の成功が、のちの襲名公演の盛綱につながるもののように、私には見えるのだ。

襲名披露での勘三郎の盛綱は、これまで見慣れた、いわゆる英雄役者風なイメージからすると、少々違和感を覚えた人もあったらしい。そういった観点から、役違いというような批評の声も耳にした。しかし勘三郎は、そういう風には盛綱という役を考えていないのではないかというのが、実際に舞台を見て、私のまず思ったことだった。戯曲『盛綱陣屋』はたしかに丸本時代物のなかでも有数の大曲だが、だからといって主人公佐々木盛綱という役まで、重々しい英雄風に演じなければならないといういわれはない。勘三郎の演じ出した盛綱は、一貫して情の表出にたけた「情の人」だった。

いったい、盛綱という人は、優柔なまでにあれを思い、これを思い、つねに心中が揺れている。はじめの方で、母親の微妙を説得するのに母の膝にて手を掛けて訴えかけるところがある。ここは、子供に帰って母にせがむ、と昔から役の心得として説かれているところだが、勘三郎が本当にそのとおりに情感を流露させているのを見て、わたしはアッと思った。こういうところは、いわゆる英雄役者風の俳優ほど、とかく照れて内輪にすませようとするのだが、勘三郎を見ていると、子供の心に返るという口伝は決して単なる比喩ではない。その心に返って、盛綱という難役の鍵ははじめて開くのだ。

首実検で一番印象的だったのは、まず偽首を見てオヤと目を見やり、同時に腹を切った甥の小四郎が必死の目でこちらを見ているのに気づいて、ム、と思いを深める、その心の綾が手に取るように見えたことである。そこではじめて、勘三郎の盛綱は笑う。それも、思わず笑ってしまったという感じ。つまりこのときに、盛綱はすべてを察したのだ。弟の高綱が、ひと目で偽とわかるような首をわが首といって討たせ、幼い倅の小四郎にその首を見て「父上」と叫ばせるばかりか腹まで切らせるという、手の込んだたくらみを兄の自分に仕掛けてきた意味を。おそるべき策略家でありながら、すべてを兄である盛綱に預けてしまう弟という存在のぬけぬけとした態度。そうしたすべてを読み取って、いわば高綱がこちらのコートに打ち込んできた球を、盛綱は、自分の一身を賭けて、主君である北条時政を裏切り、高綱の思う壺のとおりに相手のコートへ打ち返してやる。知的でヒューマンな盛綱だが、勘三郎だと、首実検は知的な推理というより、情の急所を感じ取ってすべてを受け取ったという感が深くなる。場面には登場しない高綱の、凄惨でややグロテスクなイメージが、むしろ、ジェントルマンである兄に対する、幾分目かの甘えをも含んだ、弟の「いけずさ」という人間味を帯びて感じられてくる。

首実検がすんで時政が帰ったあと、しばし黙然としているのは、誰の盛綱でもすることだが、勘三郎の盛綱は、しばらくまだ心が揺れているかのようにも見える。極限状況にあってなお、やわらかな心の働きを失わない人、その人柄のなつかしさ、とその折の劇評にわたしは書いたのだったが、そのとき改めて思ったのは、生締の鬘に白塗りという扮装の、「和実」という、実事に和事味を掛け合わせた役としてこの盛綱という役を造形した古人の知恵の深さだった。同時に、襲名披露という大事のときに盛綱を演じようと考えた勘三郎の気持が、なにがなし、わかったような気がした。

同時に、もうひとつ思ったのは、同じ生締に白塗りの捌き役でも、柄が優先する実盛などよりむしろ、盛綱の方が、勘三郎にふさわしい役だったということである。思えば当然のことだが、私が勘三郎を理解していた以上に、勘三郎は自分をよく知っていたわけである。

若き日の、前髪のついた若衆の役からはじまって、幹を伸ばし、枝を張り、葉を繁らせてきた勘三郎は、歌舞伎俳優として役柄の領域を大きく、多彩に広げたことになる。だがじつは、多彩にさまざまな役をやっているように見えて、勘三郎には、まだ手掛けていない役がいろいろある。

役の上のことばかりではない。勘三郎はまだまだ戦い半ばであって、むしろ、これまでになしてきたことよりも、これからすべきこと、しなければならないことの方を、より多く持っているのである。

それにしても、勘三郎の盛綱を平成中村座で見たかったと、いま、痛切に思うことである。

 
40.「め」の章 (談話・「盛綱陣屋」について)

―――盛綱という役について? いや、特別な思い入れみたいなものは別にないです。ただ襲名の演目として出したのは、いろんな役が出てくるからいろんな方に出ていただけるということと、やっぱりああいう超弩級の軍艦みたいな大曲をやらしていただきたかったということはありました。

―――それと、盛綱って好きなんですよね、あれ。盛綱って長男のいい人だなあっていう気がするの。ぼくの解釈ですよ。二男てさあ、ずるいじゃない。だから佐々木高綱は、あんなもう悪い奴で・・・。あの長男の感じ。勘三郎にならしてもらって、それ、やっときたいなって、ふと思ったんです。

―――首実検でふっと首を見たときに、普通はね、やりゃあがったなって笑えっていうんだけど、それがいまの普通のやり方で、いまもいろんな方がそうやるけど、そうじゃないと思う。あれ、間違いだと思うんですよ。やりゃあがったな、じゃないですよ。長男ってそんなこと思わないですもの。

―――なあんでだ?ってことでしょ。ええっ?って、盛綱は思ったんだ。これ、この首、ひと目見たら偽だってわかるよ。なら、なんでこんなことしたんだろ? え? 待てよ。何でそれなのに、この子は腹切って死んでんだ? で、見るとその子が、おじさん、言わないでって顔してる。そこで笑えるんですよ、はじめて。やりゃあがったなーっ、て。

―――だって、絶対そうだと思いません? やりゃあがったなって笑うじゃない、みんな。で、何分かかったとか。かかってもいいんですよ。それが、何故それだけかかんのか、わかんないんだもの。盛綱っていい人だから、あの人の中にはないもんね、そんなこと。なーんで? こんなこと嘘だって、俺、言っちゃうよ。ちょっとやめてくれよ。こんなことまでするのかよぉ、ばっか野郎、しょうがねえ嘘ついてやろう、って考える。いい人なんですよ、盛綱って。

―――しょうがない。どうしよう。あとはもう、時政に首は本物だって言って、その代わり俺も死のう、っていう瞬間がね、大好きなの。この心理。これをね、やらない盛綱は、ぼくは本当は打ち殺してやりたいんだよ。これからこの役、何回もぼくはやります。これから先。

―――だって、むかし歌右衛門のおじさんに『鳴神』の絶間おそわったとき、(声色で)「不思議なことなあ」と言えと、心がなければ駄目だと言われてきたのに。何が古典だと言いたい。心よりも、貫録とか、セリフ廻しとか、それでごまかされるっていう気がする。いやなの。そこにドラマがなければ。

―――ぼくはどんなことがあっても、これから先、勉強していくのは、ドラマ性を古典の大曲には持ってゆきたい。それから世話物は、日常の感じをどこに持っていくか。いわゆるリアル、であり歌舞伎である。逆に言うと、時代物は世話にやれっていうのはね、そこだと思うんですよ。世話は時代にやれってのもそこなんですよ。そこがね、これからの課題だなあ。かといって理屈っぽく、神経質にやっちゃいけないんですよ。肚だからね。肚でやりたい。その第一歩だったんだ、この盛綱はね。