随談第486回 机上の妄論(その2)

連載物をしていると、つい小回りが利かなくなりがちで、折々の雑報だの感想だの、よしなしごとを書き留める機会が少なくなって、酸欠気味になる。そこで、そうした「雑談」を一束ね、束ねてみよう。

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プロ野球のオールスター戦というのは、民放のテレビ中継だとやたらにお祭り気分を演出しようとするのに白けるが、平素なかなか見る機会のない有名選手の誰かれをいちどきに見る愉しみというのは、なかなかいい気分である。神宮球場での第二戦を見る。今年は初出場の選手が多かったが、何と言っても、前日に投げたので今日は出場しない広島の前田だの楽天の田中だのが、コーチボックスに入れ替わり立ち代わり姿を見せる。そんな他愛もないことを嬉しがるというのもオールスター戦なればこそで、そもそも、歌舞伎でも大相撲でも、興行ものの喜びというのは、アヽあれが音に聞くエビゾウか、ホラあれが大砂嵐だよ、といった具合に、お上りさんの都見物よろしく他愛もなくウレシガルところに本質があるのだ。プロの興行というのは煎じ詰めれば見世物である。顔見世、とはよく言ったもので、オールスターの愉しみはそれに尽きる。

その内に、マエケンて意外に細身なのね、とか、田中の身体つきってプロ野球選手の理想だよな、とか、イデホのデカさというのは稀勢の里ばりだとか、いろいろなところに気が付き始める。評判記ではないが、「評判」「噂」こそ批評の根源なのだ。マートンだブランコだバレンティンだといったところを連続三振に打ち取った育成選手上りの千賀にも、はじめて目の当たりにする光栄に浴した。日ハムの大谷のスマートさというのはやはりただ者ではないし、阪神の藤浪もヤクルトの小川も既にオーラを纏っている。一年間浪人暮らしをしてまで巨人入団にこだわったクソ野郎と好感を持てずにいた菅野なんてのも、しかし実物を見るとやっぱり悪くない・・・といった私家版「野ボール」評判記を、夜風に吹かれビールをぐびりぐびりやりながら胸の内に書いていた。

パ側がやや貧打の気味だったので地味目の試合展開になったが、しかしそれも、セ側の花形投手連の好リレーと背中合わせのことで、まあ痛し痒しか。妙にお祭り気分に染め上げようとするのでもなく、オールスター戦といえども勝敗にこだわって勝ちに行く、などというのでもない。それにしても民放のオールスター戦の中継放送というものが、こうしてみると、いかにパターン化しているか、今更ながら知らされる。

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名古屋場所は稀勢の里の独り相撲で終始したが、千秋楽のNHKの解説で舞の海氏が言っていた、稀勢の里は相撲の取り方に主体性がない、というのが一番の適評であろう。余計なことを考えず思い切って行け、と新弟子のときに親方に言われたのを馬鹿正直に守っている内に横綱を狙う地位になっても、つい、頭を使わないで相撲を取る癖が身についてしまったのか。

胸毛の立派なので有名だった昔の(つまり、朝青龍の親方のもうひとつ前の)朝潮は、栃若よりも強い筈なのに、第一人者の地位につけず三番手の横綱で終った。年に一度、大阪場所というと優勝するので「大阪太郎」と仇名がつくほどだったが、成績にムラがあるために横綱になれたのは晩年で、まもなく若き柏鵬に追いつかれてしまった。あまりに人が好く、いろんな人の助言をハイハイと聞き過ぎたと言われた。柏戸も、右前みつを鷲づかみにしての豪快な寄り身で全盛期の大鵬を幾度か土俵下に吹っ飛ばす力を見せながら、こと優勝回数に話を限るならほんの四回に留まった。朝潮も柏戸も、雄大な体躯といい、豪快な相撲振りといい、(朝潮などは『日本誕生』という東宝映画に特別出演し、原節子の天照大神や乙羽信子のアメノウズメの命を相手に、天の岩戸をこじ開けた手力男ノ命(タヂカラオノミコト)の役をつとめたほどだ)これぞ「角力」と思わせる、それこそ記録よりも記憶に残るという意味では「大横綱」ではあったが、記録という実績からすると「並みの横綱」に終わった。名を成さしめた栃錦や大鵬の相撲に比べると、あまりにも相撲振りが素朴であり過ぎたのだ。

だがそうは言っても、朝潮も柏戸も立派に横綱となったが、稀勢の里は今のままでは横綱になれるかどうか、心もとない。ひとつ違うのは、朝潮は両肘を締めて相手のとび込むのを許さない「鶏を追い込むよう」と評されたような、柏戸には先に言った右前みつを取っての突進という、それぞれ「型」を持っていて、それがツボにはまったときは栃錦も若乃花も大鵬もかなわなかったが、稀勢の里にはそれがない。ないわけではないが(現に白鵬に真っ向から勝てるのは稀勢の里だけだ)それが「型」として確立していない。舞の海氏の言う「取り口に主体性がない」とは、つまり「型」として確立するためにはもっと「頭」を使わなきゃ、という意味に違いない。主体性とは「意志」であり、意志は頭を使わなければ成り立たない。

ところで、このところ不充分ながらも改善の様子が見えていたNHKの大相撲ダイジェストの放送時間が、今場所、また午前三時台に改悪された。前にもこの欄に書いたことがあるが、幕内の取組が午後四時から六時までというのが見られない者が、あの簡略なスポーツニュースでは知り得ない、一番一番の取組を見たいがために深夜を厭わずダイジェストを見るのだ。とは言え、出勤時間その他、翌日の仕事のことを考えればそうそう夜更かしをするわけにもいかない。見終わったら午前四時というのでは、まともな勤労者は相撲を見るなということではないか。これも前に書いたが、心あるファンというのは、優勝争いや話題の力士だけを見るのではないのだ。

実況放送でも、無理やりその日その日の話題を作るために、さほどでもない「今日の一番」なるものをこしらえて、他の取組の間に前場所のビデオを流したり、解説者に予想を言わせたりするので、それに当てられた取組は制限時間いっぱいになるまで映してもらえないということになる。よほどの大一番ならともかく、その犠牲になった取組、その力士を見たい者には実に腹立たしい。何時だったか北の富士さんが、さほどでもない「今日の一番」について何度も同じ話題を振られて、エッ、それさっきも言ったじゃないの、と応じたことがあったが、実に痛快であった。

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先日、歌舞伎学会の企画で、松尾昌出子さんの話を聞く催しがあったが実に面白かった。近来の好企画というべきである。千土地観光(ドリーム観光)など大阪の興行師として著名な松尾国三を父に、貴重な女役者として知られた市松延見子を母に持つ松尾さんだが、そこで思ったのは、このご両親の一代記を、それこそNHKの朝ドラにしたらぴったりであろうということだった。役者上りの海千山千の興行師に市川中車、大歌舞伎の役者からも実力と意識を認められていた女役者であり、きびしくもやさしい母でもあった延見子に寺島しのぶなら、極上のキャストであろう。女の生き方シリーズとして延見子をヒロインにすれば、大当り間違いなしと思われる。どなたか、このブログを読んで下さりNHKに顔の利く方があったなら、売り込んで下さらないだろうか。

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都議選に続き参院選の投票率が、ことに若年層で低かったのが話題となっているが、そうしてこれは絶対、NHK民放を問わず放送局では言いっこないことだが、午後八時に投票が終了すると一秒も経たないうちに当確が出る、というのは、百の理屈千の説明を聞いてもなお、有権者として馬鹿にされているような気がしてならない。出口調査なるものに出会ったら断固拒否してやろうと思っているのだが、残念ながら私の投票所はその対象になっていないらしく、出会ったことがない。

そりゃあ、統計学なるものはそういうもので、太平洋の水質調査をするのに太平洋の水を全部汲み出す必要がないように、サンプリングなるものの正確さというものはよく承知しているが、それはそれ、あれは実に感じがよくないことに変りはない。私がもっと若くて、自分の一票の軽さ、むなしさの方が、それでもこれ以外に方法がないのだから、と考えるより大きかったなら(その方が、実感として自然ではあるまいか?)、午後8時と同時に当確、というのを聞いたら、投票意欲を失っているかもしれない。そのむなしさは、統計学によるサンプリングの正確さを説明されればされるほど、一層大きくなるだろう。だってそうではないか? あなたの、私の一票が日本を、東京を変え得る、という選挙の建前・方法というのは、人の善意・良識というものを前提にした「虚構」の上に成立させているのだから。
    
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それにしても、代々の民主党党首の方々というのは、つくづく、政治家としてはアマチュアだったんだなあと思わざるを得ない。もっともあの方々って、私は必ずしも嫌いなわけではない。アマチュアが首相にまでなってしまえるというのは、民主主義として少なくとも間違ったことではないだろう。