随談第485回 今月の舞台から

4カ月目に入って歌舞伎座の落し公演が花形中心に変わった。中心どころか、ほぼ全員が本当に若い。それはまあ、小山三も出て相変わらずおいろ役を元気でつとめているが、番付の連名の上段に名を連ねているような中では、錦吾と団蔵と萬次郎に市蔵が、たぶん『四谷怪談』が出るので四谷左門と伊藤喜兵衛と後家お槇と宅悦のために特に出演したと思しく、昼夜でそれ一役だけをつとめているのを例外とすれば、せいぜい権十郎あたりを年長者とするというのは、皆なんという若さだろう。こういう顔ぶれだけで『再岩藤』や『四谷怪談』が出来るのだ。今更ながら、ここまで時代は進行しているのだと痛感しないわけに行かない。

花形といっても、今回は染五郎、菊之助、松緑の三人で昼夜を持ち切る。『再岩藤』は愛之助も一枚噛んで望月弾正をつとめるが、それ以外は、『再岩藤』は染五郎が多賀大領に安田帯刀、菊之助が尾上にお柳の方、松緑が岩藤に鳥居又助と二役ずつ、『四谷怪談』では染五郎が伊右衛門に松緑が直助、菊之助がお岩・与茂七・小仏小平と、文字通り三人で持ち切る構えだ。とすると、昼の部は松緑が、昭和42年九月に開場まだ一年に満たない国立劇場で、当時として四十何年振りかで復活上演した時の配役でいえば十七代目勘三郎のつとめた二役を受け持つことになるわけだ。(ついでに言えば、染五郎の二役が勘彌、菊之助の二役が、ついその四月に襲名したばかりの芝翫だった。芝翫はこのときまだ40歳である!)

その後当代猿翁(と言わねばならぬとは、嗚呼! 何とも感じが出ないことおびただしい)がじつに十六回演じながら練り上げていったバージョンや、別に平成中村座で十八代目勘三郎が演じた串田和美バージョンでは、大領や弾正や帯刀までつとめて、多い時は七役早変わりなどということもあった。これらは別バージョンと考えるべきで、今度は音羽屋の型でやると松緑が言っているのは平成二年に菊五郎が国立劇場でやった時のことを言っているのだろうが、これは十七代目と同じ加賀山直三脚色版で、つまり岩藤の宙乗りが舞台を横切る式になる。それにしても『再岩藤』こそは、『桜姫東文章』と並んで、いやそれ以上に、国立劇場の復活上演以後、再認識されて現代歌舞伎のレパートリーに入った代表格というべく、それまでは骨寄せで知られていただけの「二流作」で、『四谷怪談』と互角に、昼夜一本建てで並べられるような「名作」とは思われていなかった。(その功績は、むしろ二代にわたる勘三郎以上に猿翁に帰せられるべきかもしれない。)

とまあ、こんな詮索は措いておいて、『再岩藤』ではまず松緑の進境に驚いた。まず口跡というか、滑舌がよくなって、ラリルレロがダヂヅデドに聞こえるような口捌きの難がほとんど気にならなくなり、同時にセリフばかりかすることがツボにはまって、寸法がぴしゃりとはまるようになったために、世話狂言らしい芝居全体のリズムと流れが出来て、芝居の内容がすんなりとこちらの胸に落ちてくる。もっともこれが『四谷怪談』の直助となると、捨て台詞風に言うセリフ尻が聞こえなくなる、腰高が気になる、いつもの癖が出てくるのが不思議だが、おそらく鳥居又助の方は、乞うた教えの(誰だろう?)薫陶著しかったのだろう。もっともその直助だって、こうしたいつもの癖は出るものの、全体の好調は維持されていて、後にも言うが青年歌舞伎版『四谷怪談』の主要メンバーの一員として立派に貢献している。要するに「役を生きている」のだ。

染五郎は『再岩藤』の多賀大領が、序幕は紫の帽子姿が子供っぽくて案外だったが、大詰の、暗君かと思ったら明君という変幻ぶりが、一条大蔵卿が御家狂言の殿様に生まれ変わったみたいで面白い。思うにこの人、こういう辺りに秘鍵があるのかも知れない。安田帯刀も、肚はしっかりわかって務めているから、『仮名手本』の大星では気になった貫目不足も、若き家老として通用するだけにはなっている。つまりここらが丸本の時代物と御家物の境い目で、大星ばかりでなく、今後盛綱だの実盛だのをつとめるとき果たしてどうか、という見極めどころとなるに違いない。

それにしても、帯刀より多賀大領の方が仁に合っているというのは、この人つくづく二枚目なのだなあと改めて思わせられるが、伊右衛門が予期以上によかったのは、そうしたおのれをよく知った上での頭脳プレイと見るべきか。現代的解釈はさまざまあり得る伊右衛門だが、直助との対照からいっても、歌舞伎の伊右衛門としては、やさおとこの二枚目の方がやはり座りがいい。例の「首が飛んでも動いてみせるわ」をせいぜい気張って言うものの、所詮肉食系ではないところが、却って伊右衛門という人物像に幅を持たせる結果になっているのが面白い。お岩を裏切ってお梅に乗り換えるのも、軽めにすいっと乗って、お父さんの伊右衛門ほど、良心の呵責にことさらに苛まれたりしないのも気に入った。ここでも、ある種大蔵卿風に、すいと、軽く、スマートに切り替わるのである。つまりそこが「現代的」であって、父や、更には祖父の世代の諸優のように、「近代的」であることに、こだわりや、腐心や、いろけや、その他もやもやしたものを持ち込んで、却って伊右衛門を、ひいては『四谷怪談』という狂言を、妙に重たくれたものにしないですんでいる。そこがいい、というか、気に入った。

同じことは菊之助にも言えて、お岩は、たとえば歌右衛門のように、貞淑な武家の妻が夫に裏切られたが故に(あまりにも過剰であるが故に自分を見失うまでに強靭な自我、という逆説を弄したくなるところが「歌右衛門的近代性」なわけだが)、存在の意義を失うまいがために狂気、いや幽霊になるのとも、勘三郎二代のように女としての執着のゆえに化けて出るのでもなく、美しく可憐な、いわば「乙女妻」が男を慕うことをやめずに霊魂となってつきまとう、というべきか。つまりは、こうした「印象批評」を物したくなるところに特質も魅力もあるわけで、今回久々に復活した「夢の場」がこれほど似つかわしいお岩もそうざらにない。染五郎伊右衛門ともども、「怨念」だの「おどろおどろしい」だのという常套句が似つかわしくないスマートさに、お父さんや小父さんたち、更にはお爺さんたちの時代の『四谷怪談』とは違う面白さがある。つまり、近代歌舞伎、でなく、コンテンポラリイ歌舞伎、か。

与茂七も、このところ着々と成果を挙げている立役にまたひとつ、新財産をこしらえたというところだが、ここでも、スッとした男ぶりのまま、夜になれば当然のように地獄宿に出掛けて行く、という感じが「利いて」いる。(『再岩藤』の二役について言い忘れるところだった。お初=二代目尾上はこのひと本来のホームグラウンド、一方お柳の方という御家狂言の類型悪女を類型を踏まえつつも、望月大膳ならずとも心を傾けたくもなりそうなチャームのある悪女にしたところなど、なかなかニクイ。)

先に言った松緑の直助にしても、筋書巻頭の扮装写真など、例の「穏亡堀」の鰻掻きのなりで拾い上げた櫛に見入っているというポーズだが、これがバンダナに短パンの青年が(お岩の櫛ならぬ)スマホを操作している、という見立をしたくなるような、これも一種のスマートさがある。肝心なのは、こうした見立が、もちろん冗談ではあっても決して皮肉や悪口でなく、あくまでも見立として成立することで、その当世感覚が役や狂言の色やテイストから遊離しての結果ではなく、当世の役者として、染五郎は染五郎の、菊之助は菊之助の、松緑は松緑の、それぞれの役を生きているところに意味がある。と、先ずは今回の花形歌舞伎、『再岩藤』は想定外の、『四谷怪談』は想定内の、共に80点というところ。想定外とは、予期を大きく上回ってという意味、想定内とは、このぐらいはやれるよな、やってくれなければ困るよな、という期待に応えてくれたという意味。どちらもめでたぢめでたし。

ところでこの与茂七・直助に加え、梅枝のお袖、市蔵の宅悦とそれぞれなりの大健闘ぶりを見て思ったのは、ぜひ次の機会に、このメンバーで「三角屋敷」を復活させたいということである。筋書巻末の上演記録を見れば明らかだが、シアターコクーンの折の「北版」はともかくとして、昭和54年9月を最後に既に30有余年、「三角屋敷」は上演を絶っている、ばかりか、それまでは出さないことの方がむしろ例外だったのだ。一の理由は上演時間だろうが、今度のように午後4時開演、8時20分終演という形なら、もうひとふんばりして短い幕間を入れてプラス一時間、終演9時20分で可能だろう。それほど長い幕ではないのだ。

第二の理由として、脇筋だから、というのがあるが、これは実は口実に過ぎまい。『仮名手本忠臣蔵』の六段目を見よ、『義経千本桜』の三段目「鮓屋」を見よ、『伊賀越道中双六』六段目「沼津」を見よ。脇筋というならどれも見事に脇筋ではないか。勘平も権太も平作も、皆、本筋から細糸一本で辛うじてぶらさがっているしがない存在でしかない。そういうしがない存在を一幕の、一段の主人公とするところに、浄瑠璃や歌舞伎の作者の工みがあるのではないか。それを脇筋というのは、西洋近代劇の発想に過ぎない。「三角屋敷」こそ、『四谷怪談』全編で最も芝居らしいコクのある場面なのだ。お父さんや小父さんたちの世代ではやらなかったけど、ボク達の手で是非やりたいよね、やろうよねと、染五郎や菊之助や松緑たちが語らい合ったりはしないだろうか? 少なくとも、そんな「空想」を愉しみたくなるところに、今度の花形連の気持ちのよさがあったとはいえる。

それにつけても、『四谷怪談』のお袖といい、『再岩藤』のおつゆといい、梅枝の質実ななかにも潤いのある若女形振りは、これまたもうひとつの推奨ものといっていい。

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国立劇場の鑑賞教室で時蔵が『葛の葉』をするというので楽しみにしていたのだが、少しばかり当てがはずれた。悪い出来というわけではないが、何故かもうひとつ、迫るものが感じられない。客席を埋め尽くした高校生たちも、え? これで終り?といった気配だったのが、端的に語っているかに思われた。時蔵ほどの役者が初役というのも意外とはいえ、そういうことはままあることではある。おそらく「彼」は安全運転第一の慎重派なのであろう。しかし少なくとも、その日見に来た高校生の9割までは文字通り「一期一会」の歌舞伎体験となるに違いない鑑賞教室には、ふさわしいとは言い難い。

秀調の保名というのも、期待していたのだがこれも空振りだった。地味だが古典的な風貌といい、実は私はこの人の密かなファンなのだが、こういう折にこそ、ひとつアッと言わせてやろうというぐらいの気概を見せてほしいではないか。芯の役者の邪魔にならぬよう、という舞台の行儀も時と場合によりけりである。(秀調というと、今は昔、国立劇場に岡本綺堂のシリーズで『室町御所』に『東京の昔話』という二本立てが掛った時、大詰が総踊りになって、上手と下手の両端に売り出して間もない玉三郎と、当時慶三と言っていた秀調が芸者姿で踊っていると、私のすぐ後ろにいた女性が、「玉三郎さん、こっち向いてちょうだい」と、慶三に向かって声をかけたのだった。その頃の慶三は、そそっかしい観客が玉三郎にも見紛う美しい若女形だったのである。そういう頃もあったのだ。)

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新橋演舞場で『香華』を見て改めて思うのは、こういう芝居らしい芝居、いかにも芝居を見たという満足を得られる芝居は、もうこれからは見られなくなるだろうということである。脚本の作り、話の運び、舞台の装置・転換、主役脇役を問わない役者の芸。ついこの間まで当り前のように存在していたこうした芝居が、いつの間にか作られなくなってしまった。ばかりか、演じる役者さえ、もう後何年かするうちにいなくなってしまうだろう。

演技のことだけに限っても、辛うじていま現在、何とかこのレベルでこの舞台を成立させているのは、小泉まち子とか青柳喜伊子といった永年新派で、文字通りしこしこと腕を磨いてきた脇を支える面々であることは間違いない。先月の新派の『金色夜叉』は作品としては残念ながら空振りに終わったが、その中にあって辛うじて芝居を支え、成り立たせていたのは、これも、柳田豊、高橋よし子、田口守といった新派子飼いのベテランたちだった。この春の新喜劇の時にも思ったことだが、新派と新喜劇と、すこし色合いはことなるが東宝現代劇と、プロフェッショナルといえる演技者集団はこれだけになってしまったといっても過言ではない。前進座や、(少々奮発して)若獅子あたりまで加えるとして、「劇団」という、ひとつの色合いを持った演技者集団というものが持っていた意義を、いま改めて深く思わないわけに行かない。