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2016/06/28
(随談第577回)6月の舞台、その他あれこれ
何かと隙取っている内に既に月末である。早稲田から毎日オリオンズで投げたアンダースロー投手の末吉俊信とか、タイガースの選手だが熊さんというあだ名だった後藤次男とか、ちょうどプロ野球が二リーグになった前後、つまりこちらはまだ小学生のころに全盛だった年代の人たちの訃報が、新聞の片隅に小さく載っているのを横目に見ながら、ゆとりもないままに日が過ぎてしまった。(私は末吉が早稲田のエースだった当時の試合を見た記憶がある。早明戦で、末吉は途中一旦外野を守ったのち、再びマウンドに上がったりした。私は小学校二年生だったが、まだ旧式の電灯による夜間照明がついていた時代の、私にとっては神宮球場で観戦した最も古い思い出である。プロ野球でナイターが始まってカクテル光線の明るい照明設備が後楽園球場に出来るまでには、まだ3,4年待たねばならない。)
 象のはな子の死は大きく報じられたが、人の背より小さい子象としてやってきて、名前がガチャ子、これはタイ語で花子という意味だからというのではな子と呼ばれるようになった…と、当時聞かされて、そうとばかり思っていたら、今度の訃報によると、戦時中に殺処分された先代の名を継いだのだという。そうでもあったのだろうが、ガチャ子という、日本人には面白い響きを持ったタイ語の名前は、その後かなりの間お馴染みだったはずだが、そういうことは記事の上におくびにも出されないのはどういうわけだろう。ガチャ子からひと足遅れて、インドから、ネール首相の令嬢の名前を取ったインディラがやってきて、はな子と姉妹のようになったのだが、このインディラのこともひと言も触れられなかったのも、往時を知る者としては物足りない。(当時の情況を知らず、調べて報道する現役記者には無理な注文なのだろうか?)インディラは深夜竹芝埠頭に到着、腹帯をクレーンで吊って桟橋に降ろされるとそのまま、夜の東京の街を上野まで歩いて動物園に到着したという印象的な映像をニュース映画で見た覚えがある。
 BC級映画伝も、気になりながら3月に載せてから休載状態を続けているし、『キース・へリング』『パーマ屋スミレ』『熱海五郎一座』、更には『ローエングリン』,鶴沢津賀寿の会等々、書くつもりでいたのが時期を逸して旧聞となってしまったものも多々出来てしまった。以前のように、もう少し小まめに書くようにした方がいいかも知れない。
と、ここまでがマクラ、今月の、といってももうじき7月、ややこしいから「6月の」と謳って、今月の各座のお噂をやや足早に伺うことにしよう。
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6月の歌舞伎座について早くから話題になっていたのは、三部制にして、しかも一等の料金が従来1万8000円なら1万2000円となるべき理屈のところを1万5000円にしか割り引かれないので、これでは事実上の値上げではないか、豆腐屋が値上げをしない代わりに豆腐1丁の切り身を小さくするのと同じであると、非難する者ぼやく者、さていよいよ蓋を開けてみれば客席の模様はどうであったか、さまざまな現況報告が飛び交った幾つかは、私の耳にも届いたが…。
 今では当然のようになった昼夜二部制も、元はと言えば戦時中に始まり戦後そのまま固定化されたものだが、戦後の混乱も納まった昭和30年代当時、批評家・ジャーナリスト等々のいわゆる識者で、二部制こそ諸悪の根源と非難しない者はないといってよかった。役者に過重労働を強い、ひいては芸の水準の低下につながるというのが理由だったが、昭和41年10月と11月に相次いで開場した帝劇と国立劇場が、帝劇は杮落し公演を万之助改め当代の吉右衛門襲名公演を松竹と同じく二部制で行い、以後も歌舞伎公演の場合に限り二部制を取り続けたのに対し、松竹歌舞伎に対する批判の意を内在させ、理想主義を建前に掲げた国立劇場が一部制を実施したのは、象徴的だった。一日中のんべんだらりと芝居見物とはけしからんという戦時体制として始まった二部制が、戦後定着したについてはそれ相応の理由があったに相違ない。当世の若者には長すぎるというので三部制に踏み切ったのが1990年以来の納涼歌舞伎、その成功の実績が今度の試みにつながるわけだろうが、筋書巻末の出演俳優の顔写真にローマ字書きのキャプションを添えたり、外国人観客向けの「おもてなし」の、これが第一歩ということか。
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 さてその三部制のテストケースに『千本桜』の通しというのは、対社会的知名度、三つの物語からなる内容、なるほど三部制のためにあるような狂言だ。染五郎と猿之助が三部出づっぱりで大奮闘という企画もいい。第一部が「碇知盛」、第二部が「いがみの権太」、第三部が「狐忠信」という立て方は、何のことはない、かつて現・猿翁が「知盛編」「権太編」「忠信編」として出したのと同じ発想だが、染・猿コンビがそれぞれ、知盛に典侍局、維盛弥助にお里、静に忠信と取り組み合うという配役も結構である。8月には二人で「弥次喜多」をするらしいが、菊五郎劇団の菊・海老・松トリオに対して染・猿コンビを売り出すというのは、いろいろ面白そうな可能性を秘めている。
 染五郎は第一部では渡海屋銀平実は知盛、第二部では弥助実は維盛、第三部では「吉野山」の静を加役でつとめ、更に所作事「時鳥花有里」にも出る。知盛が予期以上によかったのは、先年、『勧進帳』の弁慶を無理からにでも立派にやってのけた経験が下地になっているのかもしれない。こうした力と大きさが求められる役を手の中に入れたのだ。
 一方、適役の筈の弥助と維盛が、悪いわけではないが、もっと良くていい筈、というところに留まるのはここらが難しいところ、和事味が身についていないと、ひと通り、という評の範囲に留まることになる。却って静は悪くなかった。加役でつとめる女形の美しさと面白さがあるのは、かつて色気皆無ながら桜姫など女形を手掛けた体験が無駄ではなかったか。もっともこれは『吉野山』という踊りだからであって、芝居だったらこうは行くまい。
 一方猿之助が、お柳・典侍局にお里と女形に取り組むのは、若き日を知る者には昔馴染みに巡り合うような気分にさせる。亀治郎として売り出した昔は女形だったことを知らない人も多くなったいま、こういう形でのアピールは二重三重の意味合いを持つことになる。染五郎の静があくまで加役の女形であるのとはさすがに違うのが値打ちと言っていい。
 三役の中ではお里が一番しっくりするのは、柄の問題もあるが娘方として昔取った杵柄でもあるだろう。いかにも権太に向かってビビビビビーとやりそうなオチャッピーのコケティシズムは、当節の女形の中に似合う人がいないから、猿之助を以て当代随一としていい。
お柳と典侍局、いずれもしっかりしているのは褒めていいが、お柳の方がベターなのは、お里がいいのと共通する、世話物に向いた柄の問題でもあるが、芸格の問題でもある。幸雀、京妙、京蔵…と居並ぶ局たちが皆立派なので、典侍局との落差が僅少になるのは、今度の局連中に限らず当節の歌舞伎で一番粒が揃っているのがこのクラスの女形たちであることが理由の一方にある。残る問題は、猿之助自身の今後の精進にかかることになる。
 第三部の忠信は、新・歌舞伎座初の「四の切」とあって大張り切り、大車輪でもちろん結構だが、しかしまたぞろケチをつけるようだが、猿翁のあのぐらいの年齢の時、もっと役者ぶりが大きかったのではないだろうか? 『道行』で、定番ではカットされる件を出すなど(染五郎もよく付き合ったわけだが)意欲は満々、昨夏、尾上右近の「翔の会」に付き合って出したのを早速、この機会に活かしたのは猿之助らしい気働きで、本興行ではかつて現猿翁が先の雀右衛門と出して以来ということになる。       
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 そうした染・猿大奮闘に、御大幸四郎が第二部で権太をつとめ、梅玉のために第一部「渡海屋・大物浦」の次に「時鳥花有里」なる長唄の所作事がつく、というふたつの「瘤」がついている。というと「瘤取り爺さん」みたいで一見、おじゃまみたいに思われそうだが、
ところがこの二つの「瘤」がさすが永年取った杵柄、なかなか結構、なかなか乙である。幸四郎の権太が登場すると役者ぶりのデッケエこと、それまでの各幕が子供芝居だったように思えてくる。することも無駄な力が抜けて、幸四郎ぶりもここまでくると、この人なりにひとつの境地が拓けつつあるやに思えてくる。
第一部の最後に『時鳥花有里』なる、このたび新作された長唄による所作事でも、梅玉の義経の風情がまさしく年功というほかはない立派さで、ただ立っているだけで憂愁の御大将義経になっている。二枚目役者として、この人もここまで来たのである。ところでこの所作事、物知りに教わったところによると寛政年間の絵本番付を粉本に、それから逆算して作ったという、正直、そう面白いというわけでもない一幕だが、なるほど、東蔵の鷲尾三郎だの魁春の龍田の神女だのを揃えて、知らずに見ればだまされそうな古びた趣きがあるのが一徳。染五郎がここにも現れて四ツ面の踊りを見せるという、はりきり男ぶりを見せる。
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「すし屋」で彦三郎の梶原、秀太郎の小せん、錦吾と右之助の弥左衛門夫婦等々を見ていると、みなそれぞれに無駄に歳を取っていなかったのだなあと、改めて思わないわけにいかない。(彦三郎の体調はどうなのだろう? かつての東横ホールの若手「忠臣蔵」でこの人のつとめた若狭助や平右衛門がなつかしく思い出される)。高麗蔵の若葉の内侍にしても、これまで何回努めてきたろう。「四の切」で門之助の義経のそこにいるだけで紛れもない義経になっている見事さ。この人たちに通じて言えるのは、皆、本物の仁の持ち主だということである。
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忘れるところだった。安徳天皇役で初目見得の武田タケル(頭韻を踏むなど、凝っていていい名前だ)が、声よくセリフは明確、品よく可愛く、体の大きさも程よく、ほぼ理想的な幼帝ぶりである。あの役は、セリフがすべて重要で、とりわけ、御製の歌をしっかり言ってくれないと見物は泣くことが出来ず、画竜点睛を欠くことになる。幼すぎては無理、と言って大きすぎては可愛げもなく、そもそも典侍局が抱くのが難しくなるからこれもダメ、なかなか程のいい子役がいない役なのだ。
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国立の鑑賞教室で橋之助が『魚屋惣五郎』を出しているのが20年ぶりだという。あっけなく時が経つのにも呆れるが、秋の襲名の演目が決まって盛綱と熊谷を出すのだという。この二つを眼目に立てたというのは、時代物役者としての自覚を天下に表明したということか。いよいよこの人の役者ぶりの見事さを思わないわけには行かない。先頃『逆櫓』の樋口をした時の評を『演劇界』に書いて、橋之助を稀勢の里になぞらえたら、なかなか横綱になれない大関に例えるのはどうでしょうと編集の人が心配した。もちろん、そういう意味ではなく、大器ぶりを重ね合わせたのだ。
梅枝がおはまをやっていて、年齢なりキャリアなりにその役になっていることに、改めて驚く。橘太郎が太兵衛を当り前のようにつとめているのにも、意味合いは違うが、ある感慨を抱かざるを得ない。
宗生が体育会系のような三吉だが、これが大人の役者としての第一歩ということか。
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コクーン歌舞伎の『四谷怪談』については新聞にも書いたしまもなく出る『演劇界』にも書いたから、そちらを見ていただくことにしたいが、勘三郎がいなくなったコクーン歌舞伎ということを、しきりに考えながら見た。
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三越劇場の新派公演が、『深川の鈴』と『国定忠治』の二本立てという、新派の近未来を予告するようなメニューを出した。
『深川の鈴』は川口松太郎の人情馬鹿シリーズ別巻のような作で、いまやこういうものをさせたら波乃久里子は、人間国宝にさせたいようなものだ。ある時代にある土地に生きていた人間の生き様を舞台の上にさながらに生きて見せるのが芸だとするなら、少なくとも、かつての名優とか名人と言われた人たちの舞台や高座に覚えたものと同種類のものを、久里子の舞台に覚えるのは確かである。上手い人は今だって各ジャンルにたくさんいるが、こういう確かな手触りを感じさせるような芸の持ち主という意味で、絶滅危惧種のようなものだ。
それと、いつも同じことを言うようだが、立松昭二の円玉、伊藤みどりのお辰等々、痩せても枯れても芝居の内容が要求するものをちゃんと舞台の上に作り出して見せる新派の脇役たちの見事さ。月之助が新派の二枚目としての仁を備えているのを見ても、その新派加入は、ただに彼一人のためだけでなく、大正解であったと言っても早計ではないだろう。正月以来、新派の人となって、目下、毎試合連続安打を放っている。
その月之助が新国劇十八番の『国定忠治』を新派公演の演目として出すというのは、いろいろな想像を掻き立てるが、忠治ならぬ新国劇の残党ともいえる劇団若獅子の笠原章ほか、れっきとした旧新国劇の面々が脇を固めて、さながら歌舞伎の型物のごとくに「再現芸術」として演じて見せる。老いたる者には在りし日の思い出を、若人には新たなる夢を、とは、かつてコロンビア・トップが懐メロ番組の司会で聴かせた名文句のもじりだが、思えば新派も新国劇も歌舞伎の周辺演劇として発生・発展したもの、それがいまこうして、歌舞伎で育った月之助が新派の舞台で新国劇の十八番を演じるというのも、巡り巡っての歴史の必然ともいえる。少々、肩に力が入っていたのは否めないが、まずは立派なものだ。(辰巳柳太郎の訛りの癖までコピーしているのはおかしいが、いまは目をつぶろう。)こういう役も守備範囲の内に入れられるなら、月之助、いや二代目喜多村録郎によって新派そのものの守備領域が広がることになる。笠原章が川田屋惣次役で、老け役の巧いのにも感心した。『荒川の佐吉』の鍾馗の仁兵衛をさせてみたくなった。
その新派が6月19日の日曜に一日だけ、三越劇場で水上滝太郎の『銀座復興』を上演という思いがけない企画があって、なかなか結構だったことも、最後に書いておこう。終戦直後の昭和20年10月に、六代目菊五郎が一座を率いて帝劇で上演、劇の背景の関東大震災と米軍の爆撃による戦災という現実とが重ね合わされて感動を呼んだという、音に聞えた話で知るばかりだった芝居を初めて見る興味と、いざ見てみると正直なところ、こういうものか、という思いと、両面あるのが率直な感想だが、それはそれとして、よき企画であり、よき舞台であったことは間違いない。かつて菊五郎のやった「はち巻」の主人を田口守、多賀之丞のやった女房を瀬戸摩純など、みなよかったが、ここでも参加の笠原章がかつて尾上鯉三郎のした稲村老人の役で、老けの巧さを見せた。
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